2024.5.24 洗脳



停滞期

毎日noteを書いている
書き上げられないにしても、書こうという意識をもって生活している。

とは言っても毎日書きたくなるようなネタがある訳ではない

むしろ働いていない分、多くの人より刺激が少ない

気づきとは刺激から生まれるものだ。

例えば、
転んだらビックリするだろうし、痛いし、血だって出るかもしれない。それから次は転ぶまいとするかもしれない。

刺激というのは痛みだ。

自分には痛みない生活がある。

それが自由であり楽な生活だ。またnoteが産めない生活とも言える。


そもそもnoteを書き始めたのは、気づきを粗末に扱わないようにするためだ。

感覚的に掴んだことを言葉にすることで気づきが生まれる。

しかし

前述の通り刺激がない。

歩いてないから転びようもない。

最初はよかった。
まだ書くことがあった。
過去の体験を言葉にまとめて文章にした。

しかし

書けば書くほど武器がなくなっていくようだった。


井の中の蛙大海を知らず

そもそも武器だったのだろうか?

武器というのは『表現方法』である。

単なるネタが違うだけである。

本当の意味で武器を持っているなら、ネタを選ばない。

優秀な料理人は少ない材料から、多くのメニューを作り上げる。

今こそ

僕は僕の武器と向き合うときが来た。

ネタに対してどんな調理を施しているのか。

焼くのか、蒸すのか、炒めるのか、揚げているのかetc…

ここに立ち返って色々な手段で調理する。

どんなに美味しいからといって、ニンニク醤油では飽きてしまう。

それに健康的でもない。

だからたまには蒸したり、飾るだけにしたりして素材をそのまま扱ったりしたい。



周りのひとからすべて学ぶ

そのためには、

たくさん書くことで視点をもったり
たくさん読むことで視野を広げたり
たくさん経験することで視座を高めたりしてみる


具体的には
・丁寧に書く
・詩や小説の読む量を増やす
・詩を写経する
・新体験に飛び込む
・気づきを大切にする
・料理をしてみる


これを意識して取り入れる。

すると次第に料理人らしくなってくる。

目に映るものが『食材』に変わるだろう。

あとはここ(note)で調理をして、みなさんに味わってもらいたい。

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