カッコーの巣の上で
ジャック・ニコルソン主演「カッコーの巣の上で」という映画がある。精神病を装って楽な施設でなんとか乗り切ろうとする精神は正常な犯罪者の話だったと記憶している。大雑把で申し訳ない。そんな映画がある。
2020年11月(当時)からあたらしくフロア異動となり、より面倒な入居者さんがいる場所で仕事をしている。家事の経験もない役立たずの男ができないのに、できるようになんとかやりくりをするのだ。今日も夜勤。正直やってられない、と思う毎日だが、それしか仕事がない。自己破産するかどうかの瀬戸際。その決断を1日でも遅らせるために、介護の仕事をやっているとも言える。
このフロアには今年100歳のおばあさんがいる。会話から推測すると、家族で古本屋さんを経営していたようである。とにかく本が好きなおばあさん。飄々としていて、口癖は
「はぁー、何が何だかわからないのよー」である。
この「はぁー」の言い方が、お笑いコンビ「ロッチ」のコントを思い出す。
コカドが
「お客さん、入っていいですか?」
と声をかけると、試着室の中岡が
「はぁーい・・・」と気の無い返事をする。コカドがカーテンを開けると、
パンツ一丁の中岡が
「はぁー」と恥ずかしそうにする、あのコントそっくりの「はぁー」なのである。
夜になると僕一人でフロアを管理するのだが、そのおばあさんを仮にEさんとしておこう。
Eさんの居室からセンサーが鳴る。ドアを開けるとEさんがベッドに腰掛けている。
「どうしたん?」と声をかけると
「私さー、何が何だかわからないのよー。トイレ」と言うのである。
「了解だよ」
腕を取ってEさんをトイレに連れていく。フラつきながらも、リハパンとパットを自分で降ろしておしっこを始めるEさん。
4月からずっと介護の仕事をしていて、本業の見込みが立たない状況が続く。単発で入る仕事はあるが、元には戻らない。そんな状況が続き、気力の糸が切れかかっている精神状態での夜勤である。
どうせ、Eさんは認知症だし、わからないから、と思わず、本音をつぶやいた。
「俺さ、言っちゃうけど、こんな仕事ほんとはやりたくないんだよ。でも今できる仕事がそれしかないから、本業がうまくいかなくて、自殺しようとしたけど死ぬことすらできない臆病者だよ・・・」
その瞬間、Eさんの目の表情が変わったのが忘れられない。
しばらく沈黙があってEさんが口を開く
「私さー、病気でもないのに、なんでここにいるのー?ねーどーしてー?
家族、兄弟と離れ離れでさみしいもんだねー。ここはモダンに言えば、老人ホームってやつなわけだ。放り込まれるのよね。
あんたねー、わかるよ。この仕事は誰でもできるもんじゃないよ。私らみたいに普通なんだけど、普通じゃない老人相手にしてるんだから。」
なんか変だぞ。Eさんの反応。。。
続けてEさん
「こんな施設に入ったら大人しくしてりゃいいのよ。でもねー、私はねー、何が何だか分からなーいって言って呑気に面白おかしく振る舞うのさ。アタシはねー、ほんとはねー、全部わかってるんだよ。分からないふりをして職員さんと接しているんだよー、はぁー。あんたはねー、人生に絶望してるんじゃないんだ。ただ、単に、今の自分の人生に嫌気がさしただけなんだよー。まだ若いんだから、これから先、どうにでもよくなるよー。自殺なんて考えるんじゃないよー」
ドキッとした。自分が話していること、接している時の気持ち、これが筒抜けだったのである。幸い悪いことをしたことはないので何も恐れることはないのだが、この瞬間、冒頭の映画を思い出してしまったのだ。
そう言えば、府に落ちないことがEさんにはあった。認知症でよくわかってないのに、毎回、明日の3食の献立をホワイトボードに描いてくれるのだ。これを毎回、一度たりとも誤字脱字なく書いているのを毎回変だな、と思っていたのだが、、、そんなカラクリがあったのか。
「アタシはねー、本を扱う商売をしていたのさ。商売っていうのはね、物を売ったり、買ったりするだけじゃないんだよ!」
なに?なんか深い話?これをトイレの中でするわけ?
こっちとしても藁にもすがる思いだから教えて欲しい。
「はぁー、また今度ねー」
と言ってトイレから出て、居室に戻っていった。