菅原 正敬

金融業界からメーカーを経てIT業界へ  異業種転職、キャリアアップ、自己成長 これまでのキャリア、仕事のこと、趣味や家族のことを書いています。

菅原 正敬

金融業界からメーカーを経てIT業界へ  異業種転職、キャリアアップ、自己成長 これまでのキャリア、仕事のこと、趣味や家族のことを書いています。

マガジン

  • しごと

    しごとの記事

  • 業界考

    自分がいた業界や仕事で関わった業界についての私的考察

最近の記事

しごと⑨人材派遣会社から逃げる

<人材派遣会社への転職> 2000年12月、転職先を決めずに退職した後、転職活動中にエージェントから、「うちの会社どう?」と持ち掛けられて面接をしたら内定をもらい入社するというイージーな展開で人材派遣会社へ転職することになりました。 当時の人材派遣会社のイメージはそれほど悪くはなかったと思います。なにより人材を求める企業と仕事を求める人をマッチさせてお互いハッピーになると思っていました。 ところが、この会社は創業者が非常に強い権力を持っており、実力主義という風潮が強く、若

    • しごと⑧目標もないのに転職に逃げる

      <就職氷河期当時の状況>就職氷河期の1999年に消費者金融業界に就職した私はまだ恵まれていたほうだと思います。大学の同級生は就職先が決まらず、あえて留年を選んだり、アルバイトで当面の生計を建てるなどの選択をする人もいました。 当時就職が出来なかった同級生はその後、長い間仕事に悩むことになりました。アルバイトを長期で続けることになったり、正社員で就職しても給料が少なく、生活が苦しく将来に望みが持てない状況が続きました。 そのような長期的な経済低迷期に新卒で就職が出来、2年弱

      • しごと⑦今貸してもいつか倒れるなら何のために貸す?

        退職を決意新卒入社から半年ほど経ち、無感情に日々の業務を続けるうちに、自分の誠実さや相手への思いやりの心を活かせると思って就いたこの仕事は、お客様を幸せにできる仕事なのだろうかと日を追うごとに悩むようになっていきました。 「どんな辛い仕事でも最低3年は続けるべき」という考えが今よりも強い時代だったと思います。確かに3年も経たずに辞めることに不安もありました。 しかし、3年後やその先にこの仕事を続けていることを考えることもできず退職を決意したのでした。 何のために貸すのか消

        • しごと⑥「金返せ!」と言ってはいけない

          法律制限金融業を題材にしたドラマや漫画などにおける描写は金融機関のダークな側面として描かれることが多いと思います。 ミナミの帝王、ナニワ金融道、闇金ウシジマくんなど個人向け金融を題材にした漫画では、債権者をあらゆる手で追い込み、時には暴力や違法な手段を使ってでも回収する描写があります。 こういった街金、闇金と呼ばれる違法業者で行われる手段を消費者金融会社が取ることは通常はありません。(個人が行き過ぎた行為をしてしまう場合を除いて) 債権管理、いわゆる取立ては法律によって厳しく

        マガジン

        • しごと
          8本
        • 業界考
          1本

        記事

          しごと⑤多重債務者になってしまった理由

          複数社に借入している債務者は多重債務者とよばれます。 なぜ複数社に借りてしまうのか。これにはある理由があります。 住宅ローン、マイカーローン、教育ローン、事業資金などお金を借りること自体は良くあることでしょう。今まで一度もお金を借りずに人生を歩んできた人は稀でしょう。ただ、住宅ローンやマイカーローンを複数社から借りる人はいないのではないでしょうか。ではなぜ、多重債務者が生まれるのか。 それは、消費者金融やクレジットでは個人に貸せるお金の限度額が小さいからです。1個人に対す

          しごと⑤多重債務者になってしまった理由

          業界考①消費者金融

          社会人人生の中で何度かの異業種転職やその企業で深く関わってきた業界に対して自分なりの考えをまとめてみたいと思いました。 はじめは新卒入社で就職した会社である消費者金融業界について書きたいと思います。 入社当時の業界私が入社したのは1999年でした。その数年前から消費者金融の企業がTVCMを多く流していたということもあって、学生でもわりと名前の知れた企業がいくつかありました。武富士はレオタードの女性が躍るという独特なCMでしたが、アコム、アイフルは女性芸能人を使ったCMで親

          業界考①消費者金融

          しごと④多重債務で破産するよりはマシ

          私の家庭環境私は3人兄弟の末っ子で、両親は共働きのごく普通の家庭で育ちました。父は戦後生まれ、秋田の出身で、中学を卒業後に上京して大工になるために就職しました。母は山形の長く続くふとん屋の次女で、家は裕福な方だったと思います。 そんな両親の元に育った私は末っ子ということもあり、大いに甘やかされて苦労知らずに成長しました。家計に余裕はなかったと思いますが、奨学金を借りることもなく、私立大学にいかせてもらえたのでした。 そして、お金のことやその周りにある人間の行いについて、ほ

          しごと④多重債務で破産するよりはマシ

          しごと③支店配属でお金の暗黒面を知る

          後に就職氷河期と呼ばれる1993年から2005年の時期のピーク期間である1999年に大学を卒業して就職した私はいわゆるロスジェネ世代になります。もちろん就職活動をしていた時期にはそのような言葉は無く、後になって厳しい時代だったと言われるわけですが、就活生当時は去年より厳しいなとか、ましてやバブル期と比べて最悪とかいう感覚は無かったのです。 ロスジェネ世代の生まれた背景として就職氷河期のせいで望むような仕事に就けず非正規雇用労働者になってしまったということが語られることが多い

          しごと③支店配属でお金の暗黒面を知る

          しごと②入社前に地獄の研修を受けて目つきが悪くなる

          後に最悪の就職氷河期と呼ばれる時期にそれがどんな企業だったとしても就職できたというのは実は幸運だったと思うこともあります。大学の同級生は結局内定が1つも取れずに就職浪人を選択する人もいました。卒業後にアルバイトで生計を立てたり、大学を留年する人もいました。 私の入社した企業は消費者金融の会社で当時は絶好調の業界であったため大量採用していたという実態はあるものの、東証一部上場企業でしたし、会社説明会や採用面接でも悪い印象を受けることはありませんでした。 そして、大学を無事卒

          しごと②入社前に地獄の研修を受けて目つきが悪くなる

          しごと①Fラン大学生が就職氷河期の就職に挑んだ

          社会人人生も20年を超えて、これまでいろんなことがあったなと思い返すことが増えてきました。忘れてしまうことも増えていきそうなので覚えている範囲でこれまでの仕事の歩みを記録に残しておきたいと思うようになりました。 はじめのしごと記録は新卒の就職活動について書きたいと思います。 私が大学を卒業したのは1999年だったので、いわゆる就職氷河期と呼ばれる時期でした。当時の就職活動はまだインターネットを利用したものは殆ど無くて、分厚い企業情報誌から応募先を選んで、選考はがきを送って

          しごと①Fラン大学生が就職氷河期の就職に挑んだ