Cadre話譚:「角人と泡沫」2

case1:はじめての依頼


エルダーがチームノーンに来て引越しを済ませたその夜。
激しい風雨の中、近くの裏路地にてガァンとやや控えめな銃声が数発鳴り響く。
だが、雨音にかき消されていく。

元々裏路地は常に荒れている為、誰が喧嘩したりしていようが、よくある事で済まされやすい。
やられる側からすれば、たまったものでは無いのだが。

現場では、怪しげな男が慣れた手つきで黒い拳銃を構え、奇妙な風貌の人を執拗に撃っていた。
黒い液体が雨に流されていく。

「やメ…テくれ…」
それは助けを乞うが、誰もいない。

男はフードを深く被っており、顔がよく見えない。
ただ僅かに見える口元は、優越感に浸った気味の悪い笑みを浮かべている。

男は獲物に向けて左手をかざす。
黒い霧が渦を巻き、左手に収束していく。
獲物は跡形もなく黒く溶け、残されるはずのシミすらも雨に流されて無くなる。
服に付着した液体すらも綺麗に流れ落ちる。

男は黒い拳銃を軽く拭い、服の下にしまう。
「…勘づかれる前に帰ろ。」

足音や呼吸音は激しい雨音にかき消され、男は路地の闇に溶けていった。

1:説明会

翌朝の10時頃。
この日はオリエンテーションだ。

来客用の個室にて、事前に配布されたマニュアルを読み返しながら、秘書のジェエルがエルダーに一通り教えている。

所員の管理、採取した素材や物品の買取り、
雑用からモンスター討伐などの仕事の斡旋といった、基本的な冒険者ギルドとしての機能。

そしてチームノーンの特色。
穏便で緩い雰囲気ではあるが、見えない怪物共…所謂シャドウを認識できる者だけを雇う。

もちろんエルダーもノイズ混じりだが認識できる。

そういった性質上、普通ならば来るはずのない危険な仕事も数多くやってくる。
連合公認の最高ランクなのもあるが、最高峰の先鋭部隊であるチームIFや裏社会とコネがあるからだ。

「…基本方針に関しては以上です。なにか質問はありますか?」

エルダーはまだ警戒心が抜け切っていないのか、羽が僅かに震えている。
「ええと…危険な依頼があるって仰ってましたが…新人がそれに手を出したりするなんて事はありますか?」

ジェエルはにこやかに答える。
「その点はご安心を。私達がランク別にちょうど良い依頼を振り分けして提供します。
掲示板も簡単なものに絞っています。
危険なお仕事は基本的には掲示しません。
経歴も確認した上でバブルスさんが紹介します。」

エルダーは少しほっとしたようだが…やはり初めての事が沢山で、不安が残る。

ジェエルは徐ろに小型のアタッシュケースを取り出して、エルダーの目の前でカチャリと開ける。
そのケースの中には腕章が入っていた。
「それでは、基本事項については以上となります。
特別所員にはこちらを…常時装着してください。」

腕章は水色の生地にノーンのシンボルが印刷されている、そんな至ってシンプルな作りに見える。
だが、魔石や複雑な術が仕込まれているようだとエルダーは察した。

恐る恐る腕章を手に取り、左腕に通す。
上腕まで通した所でピチッとくっついた。
「わっ…」

どうやら安全ピンやクリップのような物理的な物ではなく、魔法によって密着する仕掛けになっているようだ。

エルダーはこの仕掛けに少しギョッとして、「またか」と言いたげな顔を一瞬だけ見せる。
「ひぇ。こ、これ…拘束具とかじゃないですよね!?」

装着した直後、不思議と力が漲って体が身軽になる。
魔力は元々有り余る程に溜まりやすいが、何となく元気になったような気もする。
「…連合で何をされたかは兎も角として、それはIFの皆さんが使用しているものと同じですよ。」

ジェエルはあまり近寄らずにその場で答える。
エルダーもそういった配慮に少し安心するようだ。

「ふぇ…わ、分かりました。色々とありがとうございます。」
ジェエルはケースを片付け、エルダーを受付に案内する。
エルダーは不安そうに鞄からメモ帳を取り出して、何かを読み返し、そっと鞄に戻してから着いて行った。

ここからはじめての仕事だ。

2:依頼

バブルスは相変わらず依頼書類の整理をしていた。
何故か黒タンクトップに苔色のカーゴパンツと、ラフな服装をしている。

エルダーを見るなり「おっ」といった表情をして、手招きする。
眠いのか、目が淀んでいる。
「おつかれ…で、お前に丁度いい仕事を探してたけど、これはどうだ?」

スッと提示した依頼書の内容は、『B級シャドウの討伐』
ターゲットはボンベリーという破壊系、らしい。

エルダーは異質な悪意を感じ取り、それを不審に見て、恐る恐る指摘する。
「あの、あの…すみません先輩。B級は僕にはまだ早いってレガーナさんから言われてるんです。
しかもこれ…殺意が高いやつだって…。」

B級以上のシャドウは下級個体と違って実体があり、干渉が安易にできてしまう。
その上、理知的で手強い個体が多い。
なので新米ハンターに任せるにはかなり厳しいと思われる。

「…は?B級?」
それを聞いたバブルスは、訝しげに依頼を再確認した。
暗く淀んだ目に光が僅かに戻り、提示するべきものが間違っていることに気づく。

「…!?うわ…すまねえ、お前向けなのはこっちだ。」
そして違うものと取り替える。

エルダーは不安そうに見る。
シャドウ討伐なのは同じだがランクがC級に降格しており、被害の詳細も比較的軽微だ。

ターゲットはバティ。
捕食系で、コウモリのような外見をしている。
捕食と言っても噛み付いたり血液を吸い取るくらいだが…突然の貧血で立ちくらみがしたら、だいたいこいつの仕業だ。

「これはボクも手伝う。清掃の依頼が丁度その場所なんだわ。」

定期的に清潔にすれば、その場のシャドウの発生頻度が大幅に下がる。
なので清掃も大事な要素だ。

2人は依頼書にサインをして、準備をしに自室に行った。

数分の後、エルダーは動きやすいカジュアルな服装に着替え、サーベルを携帯して出てきた。
額の角を隠すためか、ハチマキも装着している。

バブルスはバサッと変なレインコートを羽織り、鞄を下げて出てきた。
鞄にはブラシやワイパー、モップ、洗剤、様々な研磨剤、ゴミ収集用のカプセルなど、清掃道具が入っている。
水道工事用の工具キットもある。

…一方で彼のレインコートの中には、何やら物騒な代物が沢山入っているようだ。

そして、よくよく見るとフードの中は真っ暗。
非常に多い武器ポケット、何かの充填装置など…仕掛けが満載なようだ。

エルダーはそんな装備を不思議そうに見ていた。
「ほんとに掃除の装いなんですよね?」

「…ああ、掃除に必要だ。」

3:初めての共闘

当日、エリアBのある裏路地。
あまり人が通らないようだが缶やボトル、紙屑、タバコの吸殻などが落ちており、そこそこ不潔だ。

バブルスはその辺に落ちているゴミを拾い、カプセルの中に捨てながら向かう。

エルダーは不穏な気配に警戒して、傍らにいる彼のレインコートの裾をギュッと掴む。
バブルスは少し眉間に皺を寄せて睨みつける。
その目には光が多少はあり、理性的に見える。
「ごみ拾いの邪魔なんだけど。」

彼からも例の不穏な気配がする為、ぱっと手を離す。
目が淀んでいる時は気配が強いようだ。
「ふぇ…。」

目標地点に着いた時、早速キーキーとやかましい鳴き声や、バサバサと羽ばたきが複数聞こえてきた。

2人が思った以上に多かった、目視だけでもざっと30体はいるだろう。

バブルスはゴミの片付けをしながら何かを呟く。
その言葉は、不思議と明瞭に聞こえる。
魔法の基本である詠唱だろう。
『Blasen, halte das Böse fern.』

直後、大きなシャボン玉が2人の足元から包み込み、体当りをしかけてきたシャドウたちがぽよんと弾き返される。

弾かれたシャドウはギャア!と叫ぶ。
「バリアにも限界はあっから、ボクが来るまで耐えろよ!」

エルダーは「分かりました」と手で示し、「舞え、炎たちよ!」と言って羽虫のように飛び回る炎を散らす。
初級の炎魔法だ。わざわざ口に出す必要は無い。

ただ炎を散らして、命中した物を燃やす、そんなごく単純なものだが…。
エルダーの魔法は格が違う。

炎は虫のように飛び交い、命中した途端にボっと強く燃え上がり、芯まで燃やし尽くす。

舞飛ぶ炎によって、シャドウ達は焼け消える。
炎に気を取られてる隙に切り落とす。
バブルスは何かを探りながら掃除する。

さて、10分くらい過ぎた頃か。
順調にシャドウの数は10体ほどまで減っていた。 
しかし奴らは段々と2人の動きに慣れ、避けるようになっていく。

隙を見ては鋭い翼や牙で傷つけていくせいで、シャボンのバリアはパァンと割れてしまう。

今だと言っているかのように、キーキーとやかましく騒ぎ出す。
ただ、なぜかバブルスに攻撃しようとするものが少ない。

「ええい鬱陶しいなこの蝙蝠!黙れ!」
バブルスの怒号が聞こえ、小さいシャボン玉が複数飛んでいく。

シャボン玉はシャドウに触れると、バァンと小規模な爆発を起こした。
一体一体、正確に倒していった。

残った一体はそれらを巧みに避け、弱そうな獲物を狙ってエルダーに突撃する。

彼の刃術はこういう単体への戦いには向いていないのだ。
隙をつかれて、右羽をガブりと噛みつかれる。
「ぎゃっ!」

チッと舌打ちが聞こえたあと、エルダーの背後からガシュッと控えめな銃声がし、直後に何かがドサッと落ちる音がする。

まだ痛みがじんじんするが、振り向けばシャドウは黒く溶けて蒸発しており、バブルスが鋭い目付きで黒い拳銃を構えていた。
「そいつで最後だな。全く…。」

エルダーはそんなバブルスを見て、思わず声を漏らす。
「わ、わあ…」

バブルスは拳銃をソッとレインコートの中にしまい、その場から動かずに話しかける。
「…悪い、怖がらせちまったか?」

エルダーは少しの間唖然としていたが、怖がるどころか、むしろ目をキラキラさせて駆けてきた。
「わあああ!かっこいい!プロの技だぁ!エージェントってやつ!?」

バブルスは急に懐かれて少し引いていた。
(うわ、見た目相応にガキっぽい…。)

エルダーに対して『待て』と何回か手で示しながら、
「わかった、わかったから騒ぐな…ここ居住区だぞ。」

数分後、エルダーは平静を取り戻す。
「…すみません。そういえば先輩、途中から僕の手伝いに専念してましたけど。お掃除…大丈夫ですか?」

バブルスは少し得意げな笑みを浮かべる。
「ふん、ボクはプロだ。あの程度なら10分もかかんねえよ。」
ふと周囲を見渡すと、確かに隅々まで綺麗になっている。
頭上などの手が届きにくい箇所まで行き届いている。

「細かい説明は帰ってからな。
依頼人が待ってるから、早く処理を済ませに帰ろうぜ。無駄に時間食うと報酬が減るかもしれねえぞ。」

彼は先にいけと言いたげな顔をする。
エルダーは不思議そうにバブルスを見て、まっすぐ帰った。

エルダーが去った後。
「…ああクソッ、あの坊ちゃん…ホントに眩しすぎ。
純粋すぎ…。」

バブルスは辛そうに目を抑えながらゆっくりと後を追っていった。
まるで光源をずっと直視し続けていたような、そんな疲れと乾きがある。

この後、2人は滞りなく正当に報酬を得た。
バブルスは得た報酬の3分の1をどこかへ振込みに行ったようだが…それはまた別の話。