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自己紹介とこれまでの歩み(第一部)
はじめまして、NeoRioと申します。
新年を迎えたこのタイミングで、これまでの人生を振り返りながら、自分の経験を少しでも誰かの役に立てる形で発信できたらと思い、noteを始めました。
NeoRioという名前の由来
「Neo」はギリシャ語で「新しい」という意味があります。日々新しい自分に生まれ変わり、昨日よりも成長したいという願いを込めています。「Rio」は私の名前(りょう)を早口で言うと「りお」になることから取りました。この名前には、自分らしさと新しい挑戦を象徴する思いが詰まっています^^。
noteを始めた理由
私は普段、人付き合いが苦手でつい壁を作ってしまいがちな性格です。でも2024年から2025年への区切りを機に、その殻を少しでも破りたいと考え、noteでの発信を決意しました。
これまでの人生では、人間関係の悩み、性格の歪み、精神病や難病の経験、高校受験の失敗からの挫折、親からの強いプレッシャー、大学受験での逆転合格、さらには大学での成績向上など、さまざまな経験をしてきました。
そんな私の経験が、誰かの心の支えや、何かを乗り越えるヒントになれば嬉しいです。もちろん自己表現の場としても、ここを活用していければと思っています。
プロフィール
名前: NeoRio(本名は非公開)
年齢: 21歳
学年: 大学3回生
MBTI: INTP(論理学者タイプ)
私は偏差値40台の高校から、現役で一般試験で同志社大学に合格しました。現在は機械工学を専攻し、研究の一環でAIを活用したアプリケーション開発に取り組んでいます。
リアルではなかなか打ち明けられないことですが、私はADHDとうつ病を併発しています。薬の力を借りながら、日々の生活や学びに取り組んでいます。「昨日の自分より今日の自分をアップグレードさせる」をモットーに、多くの経験を通して前向きに歩み続けることを心がけています。
自分の生い立ち(第一部)
こんにちは、NeoRioです。
今回は、私のこれまでの人生を振り返るシリーズの第一部をお届けします。構成として、幼少期、小学校低学年、小学校高学年、中学、高校、大学生活、現在の順で進めていく予定です。とても長くなりそうなので、今回は小学校高学年の途中で終わりにしたいと思います。
幼少期
私は金沢で、大手外資系企業で働く父と看護師の母のもとに生まれました。0~2歳の記憶は全くありませんが(笑)、父の転勤で金沢→新潟→長野と引っ越しを繰り返し、3歳頃に新潟で物心がつきました。
当時はウルトラマンに憧れ、「困った時に現れ、何の見返りも求めず去っていくヒーロー」に心を奪われていました。幼稚園では活発で、友達と泥団子を作ったりサッカーをしたり、どこにでもいるような無邪気な幼少期を過ごしていました。
小学校低学年時代
私の価値観形成に大きな影響を与えた小学校時代。特に4~6年生の経験は後ほど詳しくお話しします。
私は田舎の公立小学校に通い、2クラスしかない小さな学校でした。入学時は知り合いが1人もおらず、初めて自分がコミュニケーションを苦手としていることに気付きました。この頃、友達は3人ほどしか作れず、親友は1人だけ。親友とは秘密基地を作ったり、「人はなぜ生きるのか」などの哲学的な話をして過ごしていました。一方で、他のクラスメイトとは馬が合わず、いわゆる“陰キャ”な生活を送っていました(笑)。
また、この頃からADHDの傾向が見え始めていたと思います。ロッカーや机は常に散らかっていて、カビの生えたおにぎりが引き出しから出てきたことも…。勉強も全然できず、授業中はぼんやりして、テストの点数は30~50点が当たり前。宿題もほとんどやらず、記録帳の記入すらまともにできませんでした。塾にも通わされていましたが、勉強の意味がわからず、先生の話を全く聞いていませんでした。そんな問題児だった小学校低学年時代です(泣)。
小学校高学年時代
この時期は、自分の人間性に強烈なインパクトを与えた出来事がいくつもありました。
小学校では3年生から4年生に上がる際にクラス替えがあり、なぜか問題児ばかりが集まるクラスに配属されました(もちろん私もその一員でしたが笑)。担任の先生は、いわゆる「体罰教師」で、当時では珍しくなかったものの、今では考えられない厳しさでした。この先生から受けた影響については、次回詳しくお話しします。
さらに、同じマンションに住んでいたM君との関係も大変でした。彼は支配欲が強く、自分が常に優位でありたいという性格の持ち主でした。毎朝、彼と一緒に学校へ行くのですが、一緒に行かないと暴力を振るわれるため、嫌々ながら彼の家に迎えに行っていました。彼の親は彼を甘やかし、彼のわがままを全く注意しない状況。そんな中、私は建前上、仲良くせざるを得ませんでした。
また、M君が別の子をいじめている場面を目にしても、止めると自分も同じ目に遭うため何もできず、今でも罪悪感を抱えています。彼との関係は私にとって非常にストレスでした…。
次回は、私の人生に大きな影響を与えた「体罰教師」とのエピソードをお話しします。厳しさの中で何を感じ、何を学び、どう乗り越えたのか――その一端をお伝えできればと思います^^。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。次回の更新では、さらに深い話をお届けします。興味を持っていただいた方はぜひ次回の記事の投稿をお待ちください。
ではまた^^