最近思うこと
ネオ香川です。
またしばらく更新できていなかったので、ここらで少し思うことをだらだら書いていこうと思います。
私っぽくないと、自分自身で感じてはいますが、溜め込むのもよくないかもしれんと思った次第です。
※ちゃんと調べてない人間の記事ですので、真に受けないようにお願いいたします。
令和6年能登半島地震
年始早々、能登半島地震がありましたね。
私自身、災害関連のお勉強を拙いながらしていたため、色々と思うことが多いのです。
具体的な部分についてはあまり触れませんが、SNS等で多様な意見が飛び交っている現状について、違和感があります。
よく争点になっているのは、支援の形についてです。
全く災害支援についてわかっていない人々が、支援をしに行く人々に対してあれこれ指摘しており、一方で支援者自体が「それ本当に支援?」みたいなことをしていたり。
何が正しくて何が間違っているのかなんてのは、ある程度はこれまでの災害の記録からわかってきてはいますが、“全ての被災者を救う”方法はわかっているわけではありません。
県からざっくりと、素人のボランティアの来訪を拒否するような要請がありました。
その声が届いていないのか、それでも来訪する自称ボランティアは少なからず動いているようです。
その行動に対してSNSで批判もあるっぽいです。
SNS上の議論?に対して思うこと
私はこの手の揉め事が嫌いで、見たくもないのでちゃんと実態を掴めているわけではありませんが、正直しょうもないと感じています。
SNS上で、批判されるべき行為に及ぶ人々がいるようですが、あくまでもSNS上での発信です。
そういった人々に対して、実態を知らないSNS上での人々が批判をする。
この構図、実体がないんですよね。
文面でぎゃーぎゃー騒ぐことに何か意味があるのでしょうか。
例えば、炎上系の活動家が被災地へ赴く、それに対してSNS上で拡散を行いつつ適度に批判する。
これって炎上系活動家の思うつぼ過ぎやしませんか。
彼らの理屈への分析を怠り、ただ“私の正しさとは違うぞ”と彼らを批判する。
その“批判した私”は、その人をフォローする人々へのパフォーマンスにも見えます。
結局、ほぼ全てがSNS上でしか起きていないことに、うんざりしています。
なんだか、正しさって現代社会では「ステータス」なのかしら、と感じました。
くだらない。
偉そうなことを言ってしまいましたが、私もここでごちゃごちゃ書いている限り、同族なのですがね。
しかもあまり調べてもないので、それこそSNSで流れてくるもので、憶測みたいなもので言っちゃってます。
ただ、この手の構図って今回の地震以外においても似たような形で現れていると感じています。
わちゃわちゃしがちなSNS“Ⅹ(旧Twitter)”ではこの手の話題には触れないようにしています。
流行りの話題に触れることは書き手として、また別の視点では現代人としては正しい行為なのかもしれないと感じることもありますが、何となく深く考えてもいないのにそれっぽいことを並べている人々が恥ずかしくて、できませんでした。
よく「じゃあ我々にできることは何か」という指摘がでてきます。
そういうのは、本当に困っている人々から求められた時に改めて「自分に何ができるのか」を考えましょう。
それまでは普通に生活してお金を貯めて、困っている人を助ける為に使いましょう。
私は自分で精一杯なので、お金は使いませんが。
私は“偽善”に対して異を唱えているわけではありません。
単純に、SNSでどっかの知らない人と揉めてるだけの方に対して、暇なら勉強したらどうでしょうかと言いたいだけです。
自分も改めて勉強します。
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