ライターとして「奪われない仕事」の確信が持てた
今日は日々の仕事を振り返っての、目次のないつらつらとした雑記です。
実は今日、葬儀ナレーション作成100本目のお仕事でした。偉そうにいろいろ書いてるくせに、まだ100組しかやってないのかと言われると、返す言葉もないのですが。
前にも書きましたが、私は、取材ライターとしてはすでに20年のキャリアがあり、実は話す仕事も初めてではありません。卒業後、観光地などでマイクを持つ仕事もしていて、当時、かなり丁寧なボイトレも受けています。
そして、同時にお葬儀の仕事も初めてではなく、ライターと並行して、葬儀アシスタントの仕事も請けていたため、スタートラインが何かと玉虫色なのです。笑
というわけで「葬儀司会」としての活動は、まだ今月で6ヵ月目。現場や、原稿をあげるためのタイトなスピード感に早く慣れたかったので、わりと詰めて仕事を入れていたので、月約20件ペースとなり、わりと早く100件に達したのではないかと思います。(ナレ無し進行のみの司会もあったので、実際にはもう少し多いのですが)
そうこうしている中で、確信が持てたのが、表題の件です。
世の移り変わりとともに、ライターの仕事の環境は、日に日に新しさが加わってきました。今は、私がメインにしていた印刷物のライティングより、ウェブ上の文章作成の方が、多くなってきてるのかなという印象。noteにも、webライターという言葉があちこちに見られますよね。
しかしまぁ、頭が古いと言われても、すでに五十路GOGOなお年ごろなもので、右から左へ流れていく情報の中で、この数年、私自身この先ライターとしてやっていく自信が持てなくなりました。
それで、一度立ち止まり、自分のキャリアを何一つ無駄にせずに、これから70歳まで、きちんと現金を稼げる仕事と見込んで選んだのが、今回の葬儀司会へのシフトチェンジでした。
ご家族の大切なひとときを創出するための「ナレーション」という、読めばその場で消えてしまうし、印刷物のように記録に残らない文章ですが、「あぁ。あのとき、こんなこと言ってもらったなぁ」と、ふっと思い出して気持ちがあったかくなる。そんな、大切にしてもらえる文章が書きたいなぁと思ったのです。
で、そんな文章を書くために、短いインタビューの時間を、どんなふうに進めていけばいいのかなと、試行錯誤の日々が続きました。そしてその答えは、毎日、相対するご遺族の方々に教えていただいたように思います。
例えば「優しい」「料理上手」「旅行が好き」とか条件を打ち込んで、自動生成される文章でも、ナレーションの原稿はできるのかもしれない。それでいいと言われる人もいるかもしれない。
でも、私がこれまで接してきた100組のご家族には、100通り(人数にすると倍以上)の故人さまへの気持ちがあり、その温度もさまざまでした。当たり前ですよね。100人の故人さまに、同じ人生を歩んだ人は一人もいないのだから。
大好きな気持ちが溢れている人、大好きな気持ちを押し殺している人。
いつも一緒にいて手をとっていた人、離れて暮らして数十年ぶりの人。
一緒にいても仲が悪かった人、離れていても仲良しだった人。
そういう気持ちの温度を、きちんと読みとるには、人と人が向かい合わせで、お互いの表情を見ながら話をして、初めて伝わるものなのです。
条件入力でも、電話取材でもなく、会って話を聞く、取材シートにないことを聞き出す、声の大小抑揚から、見えるもの聞こえるもの以外の、内なる気持ちを感じ取る。そういうことは、人にしかできない。
だから、ライターの仕事がどんなに便利になったり、ラクになったりしても、こういう文章を書く仕事は、何にも奪われることはないなと確信したわけです。
明日はまた、101件目のナレーションを書きます。70歳までと上に書きましたが、わりと本気なので、これから数千人?の人生を表現して、私の人生も一緒に深めていけるといいなと思っています。
人の歩みはそれぞれに美しく、人と人との間には、大きかったり小さかったりはするものの、必ず手触りの柔らかい愛情がある。そんなことを日々感じている、6ヵ月目の100件目なのでした。
だらだらと長文で失礼しました。最後までありがとうございます。
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