031 昌泰
昌泰
昌泰(しょうたい) 898年−901年
平安時代
天皇:醍醐天皇
出典:不明
身長・誕生日・性格
173cm
5月20日生まれ
底抜けに明るい。子供とキャッキャして楽しめるタイプ。
年号について
醍醐天皇即位に伴う代始の改元です。
醍醐天皇は藤原時平を左大臣、菅原道真を右大臣にして政務にあたらせました。宇多上皇は、仁明天皇の嫡系子孫の元良親王らを皇位継承者にしようという動きに警戒し、自分の同母妹の為子内親王を醍醐天皇の妃にして男の子の出生を願いましたが、為子内親王は早くに亡くなってしまいます😢
そこで醍醐天皇は藤原時平の妹、藤原穏子(ふじわらのおんし)を入内を進めますが、宇多上皇は阿衡の紛議の経験から藤原氏の過度な政治介入を嫌がります。
なので宇多上皇は、皇太子に菅原道真の娘婿である自身の第三皇子、斉世親王(ときよしんのう)を据えようと画策。宇多上皇&道真のやり方に密かに不満を抱いていた醍醐天皇と時平は、天皇を廃して斉世親王の擁立を図ったという理由で菅原道真を大宰府に左遷します👋
道真自身はそんなつもりがなかったという見方が強いですね。
しかしこの事件当時醍醐天皇には男子がいないもので、宇多上皇が元良親王ダメ、ゼッタイ。の立場で早期に次期皇位継承者を決めるとなると第三皇子の斉世親王が有力なんですよね。第二皇子はすでに亡くなっているので……。
だけど斉世親王は醍醐天皇の弟なわけで、醍醐天皇はそれは嫌なんです。自分の子供に皇位継承させたいから……🫅🧒
ほんでもって宇多上皇は醍醐天皇の立太子の際にも道真にしか相談しなかったよ!なんて言ってるわけですから、醍醐天皇から「お前大臣にしてやったのにもっと権力欲しいんかい」と道真が疑われるのも無理はないんですね。
まずの考えが食い違っちゃってるのでどんなふうに問題が起きてもおかしくない状況⋯⋯。道真さんが貧乏くじ引いたみたいになっちゃったってことですね。
ちなみに斉世親王は道真が左遷された直後に出家したそうです🙏