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015 神護景雲


神護景雲

神護景雲(じんごけいうん) 767年−770年
奈良時代

デザイン:響雷レオ

身長・誕生日・性格

146cm
9月13日生まれ
褒め上手。
他人の良いところを見つけるのが得意。

年号について

仏教でめでたい兆しとされる瑞雲の出現をきっかけに改元したといわれています。瑞雲は紫色だったり虹色だったりする雲のことで、彩雲とも言われます。気象状況が合えば見ることができ、実は特別珍しい現象でもないそうですよ🌈☁

神護景雲3年、宇佐八幡宮のある神託(神のお告げ)が奏上されます。それは、「道鏡を皇位につければ天下泰平となる」というものでした。道鏡は、政敵を排除し権力の中枢を握っている人物です。しかし皇族でもないわけで、貴族たちにとっては「なにそれありえんw」の一言に尽きるんです。まあこれは、権力の塊みたいな道鏡に取り入ろうとした人物たちがでっち上げた話なのでありえないのは当然です。
称徳天皇は道鏡が大のお気に入りなので即位させたがっていたような空気も見てとれます。その神託の是非を確認するため、和気清麻呂を宇佐八幡宮に派遣しました。戻った清麻呂はなんと前回の神託とは真逆の神託を奏上します。

「日嗣には必ず皇緒を立て、無道の人は掃い除くべし」

要は「天皇は天皇家の血筋の人にしようね!道鏡?臣下が天皇になるなんてありえないよ!」ってことです。
これを聞いて称徳天皇はブチ切れ、清麻呂は流罪に。清麻呂は出発前に道鏡からこっそり「うまーくいったら君を取り立ててやるよ」と言われていたそうですが、清麻呂は正直者でした。気の毒すぎる🥺

称徳天皇は清麻呂が持ち帰った神託を偽物だとまで罵ったそうですが、改めて宇佐八幡宮へ使者を送ることはせず、道鏡が即位することはなかったそうです。さすがにこれ以上はまずいとは思ったんですかね?

翌年に称徳天皇は崩御、後ろ盾を失った道鏡に対し藤原家はすぐに動きます。
「道鏡に奸計(かんけい:わるだくみのこと)あり」と密告を受けたとして、天皇崩御から半月ほどで道鏡を下野国(栃木県)に追放しました。
こうして道鏡政権は終わりを告げます。これだけ権力があっても終わるときはあっという間ですね。


続いてきた四字年号もこの神護景雲で最後です。今後一切四文字のものは登場しません。泣いて別れを惜しんでください😭

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