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030 寛平


寛平

寛平(かんぴょう) 889年−898年
平安時代
天皇:宇多天皇、醍醐天皇
出典:不明
別読み:かんぺい、かんへい

デザイン:響雷レオ

身長・誕生日・性格

158cm
5月30日生まれ
淑やかに歌を詠むのが好き。自覚のない毒舌家。

年号について

宇多天皇の即位に伴う代始の改元です。本来ならもうちっと早く改元しているはずだったのですが、阿衡の紛議などゴタゴタでこの年になっちゃったそう。

寛平3年(891年)に関白だった藤原基経が亡くなりました。しかし宇多天皇は新しく関白も太政大臣も任命しません。基経の子・藤原時平、源能有(みなもとのよしあり)、平季長(たいらのすえなが)、菅原道真らの近臣に政治を手伝ってもらうようになりました✒️🗒️

藤原氏の干渉を受けなかった宇多天皇の親政は「寛平の治」と呼ばれます。遣唐使の廃止、宮中警固のための滝口武者の配置、私営田の抑制、国司の権限強化などの改革が次々と行われました。

寛平9年(897年)、宇多天皇は譲位し、醍醐天皇が即位しました。その際宇多天皇は、当時まだ若かった醍醐天皇に「寛平御遺誡」を渡します。これは天皇としてのふるまいとか学問とかの心得、政務儀式における注意点とかが書かれているもので、当時の宮中の人物の評価も書かれていたそう。藤原時平については「若いけど政治めっちゃできるから言う事聞くといいよ!」、菅原道真については「すごい頭いい学者さんで物知り!いろいろ任せちゃっていいよ!」、平季長&紀長谷雄(きのはせお)については「将来は国を支えるデッカイやつになるだろうから大事にしてやってよ!」などなど……。バイブルですね。

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