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グレーゾーン


私は中学一年生の時、女子軟式テニス部に所属していた。

鮮明には覚えていないが「運動系の部活をすると精神的な面も鍛えられる」とのような感じで、親の勧めで入った記憶がある。

スポーツは得意だったので最初のうちは楽しくやっていた、が早起きをすることや剛力彩芽似の顧問から受ける恫喝に耐えられずモチベーションはだだ下がりだった。

さらには前衛(コート上でネット前を守る人)だったのにも関わらず、ボールが顔面に当たる被害妄想で毎度パニックになっていたため女子テニス部内の先輩ほぼ全員に嫌われていた。

(しかし部内で一番可愛くてテニスが上手い先輩が、唯一私のことを気にかけてくれていた事を私は忘れない。
私がパニック状態に陥ると「仔羊メアリー」(エンタの神様にしか登場しない青髪で女子高生の格好をしたおじさんの歌ネタ芸人)のモノマネを全力で披露してくれるという謎の励ましをしてくれた。それだけが良い思い出。)


部活に入って一年が経過するかしないかの時期に事件は起こる。

様々な学校が集まる大きな中学生の大会が行われた。そこには見たことのない大人が沢山居たため、普段よりも緊張感があった。

私は一回戦で負け応援に回っていたが、1年生はひとり1回は審判に回らなければならないかった。

早く帰りたすぎて気が動転していたためか。
なんと私は審判の得点表の書き方が分からないのに、審判に立候補したのであった。

実は一年弱のテニス部生活のなか私は審判のやり方をほぼ理解せずに完全に周りのノリに合わせることでテニスをプレイしていたのである。


ここからは地獄。
弊顧問の剛力より恐ろしい大人が大勢いる中私は血の気が引きながら主審の位置に立つ。
試合は残酷にすぎてゆく。
辛うじて目で追っていた点数を指折り数え得点表どころではなくなる。

うろ覚えだが得点表にある沢山のマスをコートに見立て、ボールの軌跡に見立てた曲線を適当に描いたオリジナル得点表をつくり、得点表を記入したのが誰か判別するために書く名前も、大御所俳優のサインかの如く誰かを特定できないような走り書きをしてそそくさと得点表を大会本部に提出した。


試合が終わり、20分ほどした時に大会本部からのアナウンスが会場に響き渡った。

「〇〇中学対〇〇中学の第〇試合の審判をした者、大会本部に直ちにきてください」

最悪すぎる。いずれ呼び出されることは分かってはいたが、今しがたアナウンスされたのは自分だった。
しかし最悪な事態は引き延ばせば引き延ばすほど最悪に成るので急いで向かう。

そして私は恐ろしい顔をした大会本部の大人達と、炎を吐き散らすドラゴンのように叫んでいる剛力に囲まれ、他の学校の生徒が冷たい目線を向けるなか、1年間テニスの審判のやり方やルールを理解せずに部活に所属していた事を当然のようにブチギレられるのであった。
自分が顧問や大会関係者の立場でもこんな奴が居たら同じブチギレをするだろうと思った。

ひとしきり怒られ、狼狽える私を連れて、部内で一番私を嫌っていた先輩が哀れみの表情を浮かべながらコートの端で審判のやり方を丁寧に教えてくれた。



それでも審判のやり方が覚えられなかったので私は1週間後部活を辞めた。

2

中学校での委員会活動は視聴覚委員という、いわば放送委員にまるまる三年間所属していた。

なぜならばお昼の放送の時間に自分の好きな音楽を流せると思っていたのでDJの真似事ができると心を躍らせていた。

しかし実態は放送室にあるCDしか流してはいけないという決まりが制定されていたので、当てつけのように私は「ふるさと」という合唱曲を毎日流し続けた。

ひたすら「ふるさと」の一番を流し、自分の担当曜日では無い日には後輩の委員にも
「ふるさとの一番しか流してはいけないよ」と念を押し、プロパガンダのようなことをしていた。

ふるさとも禁止になった。



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