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臙脂色に包まれて、街を抜ける
臙脂色に包まれて、家まで揺られる。
私の青春は、この電車とあった。
車窓にはビルの群れと河川敷が交互に映り込む。見慣れた景色やのに、何度見ても飽きへん不思議な風景やった。週に五日、部活帰りの汗のにじむ制服をまとってこの電車に飛び乗った。座席はだいたい埋まっとって、立ちっぱなしが当たり前やったけど、それすらも気にならんほど、私はこの時間を愛してた。
隣におったのは、いつも圭介や。サッカー部で真っ黒に日焼けしたその横顔が、今日も何か言いたそうに揺れてる。
「なぁ、今日の試合、どうやった?」
「勝ったわ!最後のコーナーキック、俺が蹴ってさ、藤田が決めたんや」
圭介の声は、いつもより弾んでた。私はそれを聞きながら、心の中で「おめでとう」ってつぶやいた。でも、口に出すのはなんとなく照れくさかったから、代わりに「ええなぁ」って短く返した。
電車が橋を渡るとき、沈む夕陽が車内をオレンジに染めた。ふと窓に映る自分の顔と、隣の圭介の顔が重なる。目が合うたび、私の胸はぎゅっと締め付けられるみたいになった。
告白なんて、したこともされたこともない。でも、分かってた。私の青春の中で、この電車と圭介は特別な存在やった。
「なぁ、これ卒業しても乗るんかな」
ぽつりと圭介がつぶやいた。
「どうやろなぁ」
私の声も、どこか遠くに消えそうやった。
もうすぐ春が来る。制服でこの電車に乗ることも、圭介と並んで揺られる時間も終わりや。
でも、この瞬間だけはずっと続いてほしいと思った。沈む夕陽に照らされて、私たちの影は臙脂色の座席に寄り添うように落ちていた。
それが、私の青春の終わりの風景やった。
臙脂色に包まれて、京都線へ向かう
臙脂色の電車が梅田を離れ、北へと揺られていく。窓の外に広がる景色は夕焼けに染まりはじめて、町のシルエットが少しずつぼやけていく。俺は車窓に映る自分の顔を見つめながら、ため息をついた。
京都線に乗ると、あの広い高槻の空が見えてくる。その先に実家があるけど、今は帰りたくなかった。親に「就職はどうするんや」と聞かれるたび、胸の奥がチクリと痛むからや。
今日もバイト帰りやった。昼からシフトに入って、ピザ生地を延ばして、チーズを撒いて、オーダー番号を呼ぶ。それだけの繰り返し。店長には「社員にならんか?」と声をかけられたけど、うやむやにしてきた。
「一生ピザ焼いてるわけにはいかんやろ」
頭では分かってる。でも、正社員になるって想像したら、なんか胸が詰まる感じがするんよな。自由な時間がなくなるような気がして。
電車の揺れが心地よくて、ぼんやり向かいの座席を見たら、高校生くらいのカップルが楽しそうに話してた。ああ、ええなあ。あの頃の俺も、未来に迷うなんて思わんと生きてたんやろか。
ふいに、背中に冷たい汗が流れた。
なんとなく思い出してしまったんや。俺のバイト先に時々来る、スーツ姿の男の話。「お前らの年齢ならなんでもできるやろう」って笑ってたけど、ほんまなんかな。今さらでも間に合うんかな。
電車は淡路を過ぎ、京都線へ向けて速度を上げていく。
「どうすっかな……」
つぶやいた声は、車内にかき消されて消えた。でもその言葉は、俺の中にじんわり残った。
次の駅で降りて、どこかで腹ごしらえしてから求人でも見てみようか。とりあえず動かな、何も変わらへん。そんな気がした。
電車は臙脂色に染まりながら、まだ揺れている。俺も少しだけ揺れながら、次の駅を待つことにした。
臙脂色に包まれて、京都線へ向かう
臙脂色の電車が梅田を出て北へ揺れる。車内は夕方の混雑が少し落ち着いたとはいえ、空いている席はポツポツとしかない。
私は子供を抱えてドア近くに立ちながら、ほんのり疲れを感じていた。今日は家族で少し遠出した帰り道や。楽しい一日やったけど、帰りの電車に乗る頃には子供もぐったりして、ぐずり気味になる。
車内を見渡すと、ちらほら座席は埋まっていて、家族全員で座るのは無理そうやった。でも、とりあえず私だけでも座れればと思っていたところ、たまたま目が合った女性がさっと立ち上がった。
「どうぞ」
にこやかに席を譲ってくれた彼女に、思わず「すみません、ありがとうございます」と言いながら席に腰を下ろす。重たかった子供がようやく膝の上におさまって、ホッとした。
その女性は少し離れた手すりに移動して、何事もなかったように車窓を見つめている。
目的の駅が近づき、電車が速度を落とす。私は子供を抱えながら立ち上がり、降りる準備をした。せめてお礼を言わんと。
「先ほどはありがとうございました」
彼女は少し驚いた顔をして、ふわりと笑った。
「いえいえ、エゴですよ」
そう言ったその謙虚な言葉が胸に残った。ほんまに優しい人やな。
電車を降りたあと、歩きながらふと考えた。うちの子も、いつかあんなふうにさりげなく人のために動ける人になってくれたらええなあって。
電車の音が遠ざかり、街の喧騒が近づいてくる。肩の疲れはまだ残ってるけど、心は少し軽くなった。あの女性の笑顔が、今日の終わりに小さな明かりを灯してくれた気がした。
臙脂色に包まれて、京都線へ向かう
臙脂色の電車が梅田を離れ、夕方の街を滑っていく。
私は手すりにつかまりながら、今日の疲れをぼんやりと感じていた。久しぶりの梅田。セールで服を見て、勉強の用の本を買い漁って、気づいたら足はパンパン。家までの帰り道、正直ご飯の用意なんて考えたくもなかった。冷凍ピザでもチンして済ませよか、近所のピザ屋でお持ち帰りでもええんやないか…。そんなことばっかり頭に浮かんでた。
ふと視線を上げると、ドア近くに子供を抱えた母親が立っているのが目に入った。ちょっと疲れた顔をして、空いている席を探しているみたいやった。車内はポツポツとしか席が空いてへん。
ああ、見てしまった。
気づいたら私は立ち上がってた。
「どうぞ」
母親は驚いたような顔をして、それから笑って小さく頭を下げた。
「ありがとうございます」
私は「いえいえ」って軽く返しながら手すりに移動する。ちょっと腰が痛い気もするけど、まあええか。たまにこうやって人に優しくするのも悪ない。
電車が駅に近づいて、母親が降りる準備をしている。私は視線を逸らしていたけど、ふいに声をかけられた。
「先ほどは本当にありがとうございました」
「いえいえ、エゴですよ」
思わずそう返してしまった。ほんまはカッコつけたつもりもなかったんやけど、妙に軽口っぽくなってしまった。母親は少し驚いた顔をして、それでもにっこり笑った。
電車が出発して、私はまた車窓をぼんやり見つめる。次の駅まで揺られながら、自分の気持ちにちょっとだけ笑った。
「あー、結局なんだかんだ優しいとこあるんかな、私」
そんな自分に呆れつつも、少し心が軽くなっているのを感じた。疲れた休日やけど、誰かのためにちょっと動くのも悪くない。
さあ、駅に着く時間にピザでも頼もう。