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博論日記21/365:第一人者の死
(当面の間無料記事にさせてください)
・音楽学者のリチャード・タラスキン氏が亡くなった。77歳。
・知っている人かつ偉大な人のお悔やみ記事を読むのはなんだか複雑な気持ちになる。
・あと、色んな人が色んなことを書いていて、音楽学者でこれほどの反響を生む人もいないだろうなと。
・音楽学者としての優れた業績については他の人に任せる……と思ったが、彼の著書として、分厚い6巻本からなるとてつもない『オックスフォード西洋音楽史 Oxford History of Western Music』(2005)や、ストラヴィンスキーの帝政ロシア期〜《マーヴラ》までの音楽にみられるロシア性について論じたこれまたド分厚い『ストラヴィンスキーとロシアの伝統 Stravinsky and the Russian Traditions』(1996)は、音楽学の歴史に残る記念碑的な著作になるだろう。後者は一人の人間について1882〜1922年の時間枠で一つのトピックをめぐる出来事を書いていったら1757ページになりましたという、すごい本だ。前者も4000ページ以上あるんじゃなかったかしら。
・短い論文でも、古楽のパフォーマンスにおける「真正性」について論じた「オーセンティシティの限界:オーセンティシティ運動は根本主義的で非人間的な、実証主義的煉獄になりうる The Limits of Authenticity: The Authenticity Movement can Become a Positivistic Purgatory, Literalistic and Dehumanizing」(1984)とか、音楽史における「影響の不安」概念について論じた「修正を修正する Revising Revision」(1993、日本語にも訳されている)は音楽学専攻の学部のゼミにおける必読文献の一つなのではないだろうか(少なくとも私が学部時代のときはそうだった)。
・日本では2017年の「京都賞」受賞者としても知られているはずだ。私も、彼の来日公演でストラヴィンスキーの《マーヴラ》の字幕作成をお手伝いさせてもらったことがあった。本当に思い出深い出来事だ。
・私の専門に近い部分について。私が専攻しているのはロシア音楽史なので、おそらく少しばかり時代は違うけれども、彼の研究を参考にさせてもらう部分は多かった——というか、17世紀〜20世紀なかばくらいのロシア音楽に関する本格的論文を書こうとするならば、批判的立場を取るにしても、肯定的立場を取るにしても、少なくとも彼の論文の数本にはしっかり目を通しておかなければ話が始まらないような学者であった。こんなことを言っても誇張ではないと思う。
・私は修士論文でも彼の論文をかなり批判検討させてもらったし、現在執筆中の博士論文の書き出しでも彼の「ロシア・アヴァンギャルド」に関する「刺激的」な論考を足がかりにする箇所がある。
![](https://assets.st-note.com/img/1656771324571-C7CgnuIb2z.png?width=1200)
・最後にお会いしたのはいつごろだろうか。2019年の3月にペテルブルクでリムスキー=コルサコフの生誕175周年記念のカンファレンスがあって、それに臨席されていたのをみた気がする。その時はとてもお元気そうで、まだまだ活躍されるのだなと思った覚えがある。それからはコロナもあってオフラインの学会も全然なかったので、会う機会がそもそもなかった。
・「刺激的」と書いたが、この刺激はどうやら文章においてのそれだけではなかったようである。私にとっては彼は雲のような存在で、彼にとって私など極東の塵芥に等しい大学院生だったと思うので、実際にお会いしたときも特に何もなかったのだが、Twitterではタラスキンの振る舞いについての批判込みでの追悼が(それもかなりの数)目についた。例えば以下。
Taruskin was a giant in the field, but he also provided a model for how *not* to act to one's colleagues.
— Ryan Thompson (@BardicKnowledge) July 1, 2022
It is possible to be critical and collegial simultaneously. Attacking someone during their panel, sending things like this, and punching down are not the way forward. https://t.co/m48MsMkU6A
>[引用元ツイート]「ミルトン・バビット(*)の学生がタラスキンからはがきを受け取った。読んでみよう。「クソの解説は、なおクソ」」
タラスキンは分野[=音楽学]では偉大ではあったが、同僚に向けてどういうふうに振る舞うべきでないかの良い手本であった。ある人に批判的であり有効的であることを同時にやることは可能だ。誰かを彼らのパネルで行ったり、こんなふうな手紙を送ったり、一発食らわしてやったとて前進はない。
(ミルトン・バビット(1916〜2011)は、ピッチ・クラス・セット理論という無調の音楽を分析する方法論を創案した音楽学者で作曲家。この理論の運用した楽曲分析について、タラスキンと激しい論争を繰り広げたことでも知られている。)
・タラスキンの各文章の端々からは、あまりにも論争的にすぎるのではないかという態度が見え隠れしていた。それは8000キロメートル、あるいは9500キロメートルもの彼方(*)から見ていた私からしてみると、彼の文章の魅力を生む「刺激」でもあり、スムースな読みを阻む厭な部分でもあった。ともあれ近くでこんなことをやられる方はたまったものではないだろう。完全にアカハラでパワハラだ。美しさなど欠片もない。
*:前者は東京、後者はモスクワからの距離。
・正直、個人としての彼のことはよく知らないので、こうした奥歯に物が挟まったような、煮え切らない言い方になってしまう。このあたりのことは、実際に彼をよく知る人々の筆に任せたい。
・タラスキン、彼の仕事については誹誉両方あると思うが、同じくロシア音楽史の第一人者のフロローヴァ=ウォーカーが「私が書く文章の宛先の一人、読んでほしいと思う読者の一人だった。私はこれから誰に向けて文章を書けばいいのだろう」というようなことを書いていて、美しく言えばそういう存在だよなと思った。これから私はウィスキーを飲むのだが、彼への献杯のつもりで飲もうと思う。ありがとうございました。
・京都賞の公演を載せておきます。
・こちらはインタビュー。英語だが字幕付きなのでよりわかりやすいと思います。
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