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見えない傷も、優しさも。


約1ヶ月前の地震の時に⬆️こんなnoteを書いたことで
薄々気づいている方もいらっしゃると思いますが

今日、発生から10年になった東日本大震災の被災地に住んでいます。

「被災地」と言っても、あの時の範囲はとても広かった。
それぞれの地域で受けた被害は、そのどれもが大変なものだったと思います。


私の住む地域は、津波の被害は及ばない場所。
また同じ県内とは言え、原発事故の深刻な被害を受けた地域からも
やや離れているので
直接の被害は「地震」の他に断水、停電、交通網の寸断、物資の不足など。

これだけでも日常とはかけ離れますが、家族も家も失うことなく
まだまだ恵まれていた方だなと思います。


こんな風に同じ「東日本」「東北」「被災3県」・・という中でも
被害の状況や、その後の影響にはとても大きな差があります。


10年という年月が過ぎても、自分の家に帰ることすら出来ない人たちもいれば
日常を取り戻して久しい人たちもいる。

ひと括りでは語ることが出来ない部分です。


その中で「目に見えない被害」というものは、私の住む県では共通するものがあったかも知れません。いわゆる「風評被害」。

「農産物」や「海産物」に始まり
「人」そのものにも。

流通の場
教育の場
職場

もしかすると
恋愛や結婚という領域で

ネット上で

その人が「福島の人」であると知った時に
相手がスーっと静かに引いていく感じ

あからさまじゃなくても
知る前と知った後で何かが違う感じ

ここに敏感になっている
もっと言えば「敏感になっていること」に慣れてしまっている

これが、福島に住んでいる人たちが
程度の差こそあれ負っている「見えない傷」でもあるのです。



でも、

同じぐらい「敏感」になっていることがあります。


それは裏表のない優しさや想いです。


震災直後から現在まで、現地に駆けつけて支えてくれた人たち

震災前に、進学や就職で県外から移り住んでいた人たちが
今も変わらずそこに留まって、支えてくれていること

光の部分にも影の部分にも目を向けて
情報を内外に発信してくれる人たち

なんの躊躇もなく、訪れてくれる人たち

震災後にわざわざ移り住んで来て、元からいた人以上に支えてくれる人たち

遠くにいても、想ってくれる人たち


そういう人たちが大勢いることに感謝できる自分でありたいな
と思います。


自然災害って、人間の力では防ぎようのないものだけど

起きてしまった時にどんな行動を取るかを改めて正確に知っておきたいし


もし、離れた地域で何かが起きた時には
そこにいる人たちにために何が出来るか、瞬時に考えられる自分でもいたいな
と思います。


そして10年経った今日の一日が
こんなに普通に送れていることにも感謝します。


ありがとう


ちゅ。

↑何で最後まで真面目に書けないんだろうこの子は・・・٩( 'ω' )و


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