ずっと社会復帰を妨げてる謎の不安感の正体
原因不明の不安感・恐怖感に長年悩まされている。ネットには、私にピッタリ当てはまるような状態の人はいなかった。社交不安障害を調べても、恐怖感はあるけどせいぜい汗が出てドキドキするくらいで、パニック発作は起きない。うつ病を調べても、別に普段から寝たきりになっているわけでも絶望的な気分になっているわけでもなく、家族の同伴があれば外出もできる。
要するに「普段の精神状態は問題ないけど、一人で外に出たり、一人で他人と関わりにいくことを考えるととてつもない無力感みたいなものを感じ、なかなか一歩が踏み出せない」という状態である。
この「一人で外に出たときのとてつもない無力感」がどこから来たものなのか、どうすれば消えてくれるのかが十数年くらい分からなくて、精神科医や支援施設の支援員に説明するときにもすごい困っていた。
しかし最近、これじゃないか?と思い浮かんだことがある。
それは「過干渉」
思い返せば、親二人も兄も「やってあげるよ」を結構発動してきていたし、母と外出した際にやたら荷物持ってあげるようとするとか、コート着せてあげようとするとか、さすがに手厚すぎじゃないか?と違和感を感じたときもあった。
細かいところで言うと、兄は私に何かを教えるときに私がちょっと慣れない手つきを出したり、ミスをしたりするとすかさず「いや、ここはこうね」みたいな細かい指示を出してきて、最近それが我慢ならなくなってきたということもあった。
でも確証はまだ持てていなかった。過干渉で調べてみても、大体「細かいところまで親の望むとおりにさせたがる」みたいな若干ヒステリック気味な例がいっぱい出てくる。でも私の家族は、そんな感じではない。
じゃあ「過保護」なのか?とも思ったけど、過保護の定義は「子どもの言うことを聞きすぎる」みたいなものらしい。でも自分のわがまますごい聞いてくれるとかでもなかったし、なんか言っても、それはもうしょうがないとかではぐらかされてた気がする。かと言って全然わがまま聞いてくれないとかでもないし、ゲームも買ってもらったり、習い事も飽きるまでやらせてくれたんで、普通かな~といった感じ。
じゃあ何!何なんだ!と思いつつ、現在進行系で過干渉気味になっている部分は自立の妨げになるので、親や兄に「やってあげちゃうとか、細かく指示出してくるのとかやめてほしい!」と具体例も出しつつお願いした。
そのときに、兄が「ぎこちなさを見ると、ついスムーズにいかせようとしてしまうんだよね~」と言ってて
それだ!!!!!!!!!!!
と思った。
多分「ぎこちなさを許されてない」感覚になるんだ
これは兄に何かを教えられるときのストレスをかなり的確に表した言葉だ!と思っていたんだけど、後々「一人で外に出れない無力感」にも結構繋がっていそうだぞと感じた。
外に出るときは母と一緒だ。そのときに、例えば私が精神科医に症状を伝えると、その後すぐに母に色々付け足され、結局母がほとんど喋ってるじゃんみたいな状況になる。
前述した通り、やたら荷物持ってあげるようとするとか、コート着せてあげようとするとかもある。
そういう手厚いお世話が「ぎこちなさを許されていない」みたいな不安感を生み出していった。
経験がないからぎこちなくなっちゃうのは当たり前で、でもぎこちなさを人前で出してしまうと色々言われたり手出しされちゃうので、選択肢が、最初から完璧にやるか、そもそもやらないかになってきてしまう。
そこで私は、そもそもやらないを取って、極端に消極的になって、人前でなにかに挑戦するのを拒否するようになったのではないか、という分析をした。過去一しっくりくる。
思い返せば、確かに家族の前で慣れてないことをすると心がざわつくことが結構あった。多分、他人に知られ得る形でぎこちなさを出すと嫌なことが起こるっていう、恐怖の条件付けみたいなものがされている状態なのかもしれない。
今後は、ぎこちなさを許して見守ってくれる環境を作ることが重要になりそう。
って書いてて思ったけど、根拠となるエピソード全部不登校になったあとの話しかない。じゃあなんで不登校になったんだ。って思ったけど多分、色々あった不登校のきっかけの根本の部分は「皆が感覚で共有してるっぽい安定的な判断基準が分からない」だった気がする。
分からないから問題解決ができなくて、今後さすがにまあいっか!だけではついていけなさそうだなと思って、もう落ちるしかない!!!で不登校になった流れかもしれないなと思った。ここらへんも不登校になった当時とはだいぶ状況変わってるのでなんか書きたい。