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「しなければならない」から「したいからする」へ
ここ最近3日ほど、少しだけ早起きをしています。
早起きをして何をしているかというと、ラジオ体操をしています(笑)。
初日は自分1人で、リビングのテレビでラジオ体操のYouTubeを流しながら。
その日の夜に子供達にその話をすると、僕も私も!ということで、翌日は子供達2人も一緒に3人で。
そして今日は少し起きるのが遅くなったのですが、子供達の「やる!」という声の後押しのもと、また3人で。
ラジオ体操の後は、温かいミロとパンで軽い朝食。今日は昨日たまたま買ったシフォンケーキとクッキーがあったので、それも楽しみだったよう。
子供達にとってはラジオ体操はおまけで、その後の普段とはちょっと違った朝食や雰囲気がいいようです。
私は朝起きるのが子どもの頃からずっと苦手でした。
いつもギリギリまで寝ていて、朝ご飯もあまり食べる気がせずに、でも親からは食べなければいけないと言われて無理やり食べて、それも苦痛で。
早く起きなければいけない
朝ご飯を食べなければいけない
遅刻しないように行かなければいけない
この「しなければならない」が、辛いのだな、嫌なのだな、ということに、今日ふと気づきました。
この「しなければならない」が、強迫観念のように自分を責めてくる、そして自分を知らずに追いつめてくるんだなと思えました。
そしてそれができない自分に自己嫌悪して、イライラしたりモヤモヤしたりしているのかもしれない。
今回はまだ3日目だけど、でも3日続いたのは、子供達が一緒にやってくれたというのもあるけれど、
朝活でラジオ体操で体を動かしてスッキリするか試してみたい
という、「したい」という自分の想いがあるからできたのではないかと思います。
「しなければならない、だから、する」
ではなく
「したい、だから、する」
に心の持ち方が変わると、行動が主体的になります。
させられている、という意識から、自分が選んでやっている、という感覚に変わります。
この感覚が私には必要だったんだな、と、そう思いました。
あとは一緒にやってくれる子供達の存在も大きいなと思います。
1日の中で、というか、休日含めても、子供達と一緒に何かやる時間が不足していると感じている私にとって、この朝活を一緒にやるというのは、心地よい時間を共有することのできる、とてもいいものなのではないかと思えます。
仮にできない日があっても、続けていきたいなと思います。
今日も1日、がんばろう!
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