【短編小説】Reunion
言葉なんて、思いなんて。
声に出さなきゃ消えていくの。
ふとそう思って吐き出した息が冬の朝の冷たい空に消えていった。
潮見 咲(しおみ さく)、23歳。新しい年号になって世の中が興奮に包まれたのももう去年のお話。気がつけばもう2度目の年女を迎える年になってしまった。
もうすぐ、24回目の春が来る。
はあ。やんなっちゃうな。
コートの前を閉じ、慣れないヒールで歩き出す。
大きなため息が、白くなって宙へ消えた。
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同窓会会場に着くと、すでにざわざわと人が集まっていた。
地元中学の同窓会。各クラスのクラス委員を中心に企画されたこの同窓会には、150人程度集まっているらしい。ということは、参加率は全体の7割ほどだ。随分集まったなと感心する。
地元で一番大きなホテルの一階のその会場には、卒業してから10年近く見ていなかった顔がちらほら見える。テニス部の友人に久しぶりに声をかけられ、激しく懐かしい気持ちに襲われた。
かつての同級生たちの残す面影が、中学の頃の記憶を手繰り寄せてしまう。
あの頃は、ただ、みんなより少しだけ勉強ができれば良かった。
ただ、みんなより少しだけ運動ができれば良かった。
ただ、みんなより少しリーダーシップがとれれば良かった。
頭が良くて、スポーツができて、みんなから頼られる人が頂点。シンプルで簡単な構造だった。
当時、定期テストでは毎回学年上位10位以上をキープし、テニス部では副キャプテンを務め、生徒会書記もやっていたわたしは、そこそこ円満な学生生活を送っていた。
振り返れば、充実していてしあわせな毎日だったと思う。
それに比べて今は。
胸に苦いものがこみ上げてきた。
高校は地元進学校に進学するも、大学受験に失敗した。大学では広告研究サークルに入り、それなりに楽しい大学生活を送ってはいたが、就職活動時に行き詰まった。自分が何をしたいのか、何ならできるのか、全くわからない。広告代理店勤務が多かったサークルの先輩の影響でコピーライターを志すも、すぐに挫折した。
コピーライターという人たちは、一つコピーを作るにあたり、案出し段階で少なくとも100本はコピー案を考えるらしい。
100本。
頭を振り絞ってやっと考えついた渾身の10本でさえ、素人目に見ても凡庸だとわかるのに、それを100本だなんて。わたしには、到底目指せない。
努力できない凡人が、努力し続ける天才と同じ土俵を目指そうとした時点でおこがましく、失礼な話だった。
結局今は地元の銀行に勤務をしている。もうすぐ社会人歴も1年になってしまうが、特にこれといっできるようになったと胸を張って言えることはない。
久々に会う友人たちと話すと、ほんの少しだけ、胸が苦しい。
「サクちゃん、今何してるのー?」
澤村 菜津波(さわむら なつは)が垣本 晶良(かきもと あきら)と佐倉 蒼(さくら あおい)を連れ、ビール片手に近づいてきた。
幼少の頃から同じマンションに住んでいる彼らは、幼稚園の頃から家族ぐるみで仲が良い。久しぶりに見る彼らの顔は、わたしが覚えていたものよりかなり垢抜けていたが、彼らの纏う空気は変わっていなかった。
「たぶん俺らなんか絶対入れない会社だぜ」
「中学の時、潮見さん超できる子だったもんね」
垣本と佐倉がそう茶化す。
「…みどり銀行で働いてる。駅前にあるあそこ。」
わたしは彼らの顔を直視できないまま、そう答える。
「すごい!銀行だって!やっぱり頭いいんだねえ」「え、じゃー窓口行ったら会えんのか」「俺口座持ってるよー」
幼馴染3人組が口々にはやし立てたが、わたしは苦笑してやり過ごすしかなかった。
「いやいや。全然すごくなんかないよ」
謙遜でもなんでもなく、心からそう思っていた。わたしはどこもすごくなんかない。
内定をもらえた中で一番大手だったところがたまたまみどり銀行だったから選んだ。ただそれだけだ。単にお金を稼ぐために働いている。24年も生きてきたけれど、わたしは、やりたいことも、やるべきことも、まだ見つけられていない。
そんな情けないわたしに対し、今も同じマンションに住み続けているという幼馴染3人組は、それぞれのフィールドでがんばっているみたいだった。
菜津波は看護師。垣本は消防士。佐倉はアパレル勤務。
菜津波は中学の時から看護師になりたいと言っていたし、正義感の強い垣本が消防士というのはとてもしっくりくる。大学生の時にファッションサークルを立ち上げたという佐倉がファッションデザイナーを目指し、若者に人気なストリート系のブランドで働き出したというのも、夢に向かって着実な一歩を踏み出したという感じがする。
わたしから見れば、そんな彼らのほうが何百倍も輝いて見える。彼らは、わたしには無いものを持っている。
「仕事ってすげえしんどいよな」
ビールを一口すすって、垣本がそうこぼした。
「でもなんか今日みんなに会ってみんながんばってるんだってわかって良かった。俺もがんばろーって思うわ」
「とか言ってアキ、消防士めっちゃやりがいあるって言ってたじゃん。最近自主練で筋トレ始めたし。なんだかんだ仕事好きでしょ」
佐倉が笑う。
「まあそりゃな。朝早い時とか意味わかんないくらいつれーけど。けどやっぱさ、俺らがいたから助かる人がいるってめちゃくちゃ嬉しいんだよ。この前も隣町でボヤあった時、7歳の男の子に『にーちゃんかっこいい』って言われてクソ嬉しくてさ。」
「わかる!わたしもこの前ケガで入院してたおばあちゃんにかわいがってもらって嬉しかったなあ。普段めちゃくちゃつらいけどたまーーーにそーゆーのあるからがんばれる」
ビールで顔を赤くした菜津波が言った。
「二人とも立派になって誇らしいよ俺は。」
佐倉がデニム生地のキャップをかぶり直して言う。
「蒼だってちゃんと自分の夢叶えててかっこいいよ」
「ほんとだよ、いちばん華やかな仕事してんじゃねーか」
菜津波と垣本が佐倉をつついた。
24歳になるわたしたちは、中学の時のあの頃よりも確実に大人になって、少し汚れてくたびれて、それでもなお輝いていたいと願っていた。
「てかビールうま。」
「ビールのうまさわかるようになっちゃったね」
そういって笑う垣本と佐倉を横目に、菜津波はごはんを取りに行ってくると言ってその場を去っていった。
ああ、わたしにも何か夢中になれるものが欲しい。
目を輝かせて言葉で語れる夢が欲しい。
彼らを見ていたら、ふと悔しさを通り越して微かに絶望してしまった。
「わたしもごはん取ってくるね」
二人にそう告げて食事テーブルの方へ向かっていると、背後から声をかけられた。
「よー、サク。」
同窓会の場にはおよそ似つかわしくない真っ赤なアロハシャツに明るいパーマヘア。南 琉 (みなみ りゅう)だ。
「南、、、」
突然声をかけられ、戸惑ってしまった。次の言葉を探す。
「南は、、、すごいよね」
南が高校時代の友人たちと組んでいたバンドが、高校2年の秋の文化祭で大手事務所のプロデューサーの目に留まり、翌年の夏には現役高校生バンドとしてメジャーデビューを飾った。中でもボーカルとギターを担当する南の人気は飛び抜けていて、最近は個性派ギタリストとして個人でも売れ始めている。先月、初めてソロで出したシングルがオリコンで4位に入ったらしい。
「南にしかできないこと見つけて、認められて、たくさんの人を笑顔にできて。」
南の顔を真っ直ぐに見られないまま、そうつぶやいた。
大丈夫かな、わたし。卑屈に聞こえてないかな。
そう思いながらも、素直に南の成功を「すごい」と喜べていない自分に気づいて嫌気が差す。
「ちっちゃい頃は南あんなに泣き虫だったのにね。こんなに立派になっちゃってほんとすごい。」
すると、今まで黙ってわたしを見ていた南がガハハと笑い出した。
「ほんとな。俺もまじでびっくり。幼稚園のときサクにいじめられてた時は雑魚みたいに弱っちかったよな俺。まー覚えてねーけど。」
その豪快な笑い方。
わたしの知っている南だ。
驚いて、南を見つめた。
「なんだよどーしたんだよー」
言いながら、南がわたしの頭に手を伸ばし、わしゃわしゃと髪をかき混ぜた。
「わ、ちょっと!やめてよせっかく巻いてもらったのに」
南の手を振り払いながらも、わたしは心が少し軽くなるのを感じていた。
注目の若手ギタリスト。
かつての幼馴染みは大きくなって、はるか遠いところまで行ってしまった。
だけど、中身は全然変わってない。
それが嬉しくて、口角が上がってしまう。
「サクはさ、もっといけると思うんだよね、俺」
ひとしきり人の頭をもてあそんだ後、唐突に南がそう言った。
「いくって、どこに。」
「わかんないけど、もっとずっとどっか遠く。俺なんか全然追いつかないところ。」
話が読めずに、思わず南の顔を見上げた。
「俺さ、サクのこと目標にしてたんだよな。」
南が言う。
「サク、昔っからいっつも頼りになって、しっかりしてて、てきとーな俺のこともちゃんといつもフォローしてくれて、頭いいし面倒見も良くて、みんなから信頼されてて人気者で」
南の言葉を聞きながら、わたしの中でもやもやとした気持ちがまた頭をもたげたのを認める。
そう。昔は良かった。
でも今は?
わたしの中にはもう何もない。空っぽだ。
「あと何より、」
南が続ける。
「作文がうまかった」
「‥え?」
唐突に出てきた言葉に、思わず間抜けな声が出てしまった。
作文?いったいなんの話をしているんだろう。
「俺、昔はシンガーソングライターになりたかったの。自分で歌詞書いて、自分で音楽作って、自分で演奏したかった」
「…そうだったの?初耳だけど」
わたしの知る限り、泣き虫で小さかった子ども頃の南は、どちらかというと大人しい個性の持ち主だった。そんな熱い思いを胸に秘めていたなんて知らなかった。
「そーなの。小学校くらいの時からそー思ってた。だから触ってみて、これ。」
南が大きく角ばった手を広げ、差し出してきた。
中指と人差し指に触れてみる。そして驚いた。
硬い。
指先の皮膚が分厚くなっている。
「はじめてギター買ってもらって練習始めたのが6歳の時で、そっから俺、毎日練習してたの。そしたら、こんなになった。これ、10うん年もの。」
そう言ってまた、ガハハと笑う。
「めちゃいてーんだよこれ、練習しすぎて皮むけると血ぃ出て」
知らなかった。
南がそんなに昔から夢を追いかけていたこと。そして、夢を夢で終わらせないために毎日努力を重ねていたこと。
わたしはただ、華々しい音楽界で活躍しはじめた南のことをうらやましがっていただけだ。
彼の、光に照らされた表面だけを見て。
「…わたし、ばかだったな。」
自分がどうしようもなく浅はかに思えて、そうつぶやいた。
「南の成功、素直に手放しで喜べてなかったの。あの南がなんでって、心のどっかで思ってた。」
「正直だな、おい」
南が笑った。
「でも、南は成功すべくして成功したんだね。そんなに継続して頑張り続けられるなんて、絶対に、誰にでもできることじゃない」
半ば自分に言い聞かせるように言うと、南が笑うのをやめた。
「いや、俺は単にほんと、運が良かっただけよ。俺より上手くて努力も才能もずっと上で、それでもバイトだけで食いつないでる人はごまんといる。俺ごときの努力で食べてけるようになるなんて、そんなこの業界甘くないよ。日本は特にアーティストとかクリエイターが芽吹きにくい国だしね、悲しいけど」
南は少し寂しそうに言う。
「だから、俺らは音楽やってく時に、そういう人たちの悔しさとか無念とかも背負ってかなきゃなんないし、今ある環境に感謝し続けなきゃいけないの。」
「南、、、」
烏龍茶を手にしてそう言う南がなんだか無性に大人っぽく見えた。
今からでも、なれるだろうか。わたしも南のように、素直に、謙虚に、前を見続けることのできる人に。
「でさ、俺、サクにお願いあんだけど」
ふと、南が真っ直ぐな目を向けてきた。
「俺の歌、書いてみてくんないかな」
「…え?」
「今さ、ソロ活動始めて、曲は俺が作ってるんだけど、歌詞はプロに任せてんのね。プロの書く歌詞はかっこいいし、すげえなんつーか、洗練?されてるんだけど。けど俺、そんな完璧にかっこよく生きてきたわけじゃないし、完全無欠にかっけー歌を歌いたいわけじゃないのね。売れる曲とか、ヒットする曲とかそーゆーのより前に、もっとこう、毎日必死で生きてる人励ます歌とか、悩んでる人の背中押したりする歌やりたいの。」
少し照れ臭そうに一気にそう言った南の顔をわたしはまじまじと見つめる。南はこう続けた。
「だからね、俺、サクに書いてほしいの。俺の歌」
わたしはあわててかぶりを振る。
「え、、、いや、わたし歌詞なんて書いたことないしわかんないよそんなの。プロに勝てるわけないよ」
「いや、違うんだよ、プロだと出せない味があんだよ。なんていうか、もう、型がなんとなくある感じで。とにかく、俺はサクに書いてほしいの。俺の伝えたいこととかイメージとかサクと一緒に作りたいの、お願い!」
南が顔の前で手を合わせた。
本気なのか。
わたしは軽く頭を下げた南の顔をじっと見上げる。
「とにかくさ、一回、書いてみてくんない?お願い。テーマはさ、なんとなくあんだよね、愛と日常と緑と地球とか。」
「なにそれ。」
南の言葉に、思わず微笑んでしまった。
「わかった、いいよ。…わたしが南の頭の中理解できるかわかんないけど」
「うお、まじかやった!あんがとな!よろしく頼むわ!」
南がぱっと顔を顔を上げ、目を輝かせた。そして彼は、わたしの手を強引に取り、ぶんぶんと上下に振って握手をした。
「よっしゃ、そうと決まったら早速打ち合わせしないとな!いいか、俺らが目指すところはレコード大賞だ!」
南が天井に向け、びしっと指を指した。
「レコード大賞か、、、」
そんなの無理に決まってるよ。
普段なら笑ってそう続けていただろう。だけど、今はそんな後ろ向きな言葉を口に出してしまいたくなかった。
「‥レコード大賞を受賞する」
そう呟くと、なんだかすごく楽しい未来が始まるような気がした。
その夜、普段は何かと理由をつけて断ってしまう二次会にも参加して、駅へと向かうわたしの足取りは軽かった。
この胸の中の明るい予感を、今は信じて進みたい。
駅前のみどり銀行の前を通り過ぎ、わたしは空を見上げた。
街の明かりにも負けない無数の星たちが輝く澄んだ美しい空だった。
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お読みいただきありがとうございました!
次回は南目線や菜津波たちの話を書いてみたいです。