ねものがたり⑤「内裏の鬼」
内裏といえば言わずと知れた天皇の住まいであり、国政の中心地かつ華やかなる王朝文化の本拠地でもあった。
しかし、そんな場所にも鬼が出て人を食らう、ということが間々あったらしい。
*
光孝天皇の時代のことと伝わっている。
内裏の西側に武徳殿という建物があり、その周りには松林があって「宴の松原」と呼ばれていた。この松原を宮仕えの若い女が三人連れ立って内裏の方へと向かっていた。ちょうど八月の十七日というから、欠け始めた月がそれでも明るい秋の夜のことである。
すると、松の下からふらりと男が現れた。三人のうち一人に用でもあったらしく、彼女を引き止めると木陰で何事か話し始めたという。引き止められた女のほうも嫌がるでもなく会話に応じている。見れば男が女の手を取っているので、他の二人もなるほどと思った。とはいえ立ち話のことだから、すぐに済むだろうと少し離れたところで待っていたのだという。
けれど、しばらくしても彼女は戻ってこなかった。気が付くと話し声も聞こえなくなっている。どうしたのだろう、と二人顔を見合わせた。何とも言えない嫌な気分がした。
男と女とが話していたあたりまで行ってみると、二人は影も形もない。どこにいったのだろう、とあたりを見回していると、何かが地面に転がっている……
……月の光の中にしらじらと照らし出されているのは、ばらばらになった女の手足だった。
二人はほぼ同時に悲鳴を上げて走り出した。衛門府──宮中の警護をつかさどる役所に駆け込んで、かくかくしかじかと告げる。衛門府の役人たちも驚いて、宴の松原へと向かった。
確かに女の手足は残っていたが、そのほかの部分は欠片たりとも見当たらなかったという。その頃には騒ぎを聞きつけた人々が集まって大騒ぎになっていた。
その場の誰もが、これは鬼が人に化けて女を食ってしまったのだ、と言いあったということだ。
*
また、これは清和天皇の時代のことというから、前の話とほぼ同時代の話である。
太政官という役所は、諸官庁を束ねる国政の最高機関であった。このころには「朝政(あさまつりごと)」と呼ばれる決まりがあって、多くの役人たちは夜も明けないうちからたいまつを灯して宮中に参内し、さだめられた自分の席について職務に当たらなければならなかった。それはもちろん太政官でも同様だった。
ある朝、太政官の四等官吏である史(さかん)の一人がこの朝政に遅刻してしまった。史は官吏としては最も等級が低い。やってしまったなあ、と思いながら急いで出勤していたが、途中の門の前に直属の上司である弁(三等官吏)の某の牛車があるのを見てしまった。どうやら上司は早めに出勤しているらしいのである。急いで役所に入ろうとすると、役所の外の塀には上司の家来たちがいる。ますます気が急いた。上司がもう出勤しているのに部下である自分が遅刻してしまったとなると、きっと叱責されてしまうだろう。嫌な一日を過ごすことになる……暗い気持ちになりながら、仕事場である東の庁の扉から中を覗いてみた。
……室内は真っ暗だ。まだ明けやらぬ時間、必要不可欠なはずの灯火が消えている。人のいる気配も全くない。
妙だ、と思った。塀のところまで戻って、上司の家来たちに、
「弁殿はどちらです?」
と尋ねてみると、
「もうご到着なさって仕事場にいらっしゃいますよ」
そんなことを言う。何か事件が起きているのは明らかだった。史は主殿寮──宮中の雑事に携わる部署──の下人たちを呼んできて、灯火を掲げながら東の庁へと踏み込んだ。
上司の席のあたりは血の海だった。
その血の海に敷物や笏、沓が沈んでいる。血に濡れた扇には、弁の筆跡で仕事の手順があれこれと書きつけてあった。
そして、首がひとつ転がっていた。真っ赤に染まり、ところどころむき出しになった肉に髪の毛がべったりと張り付いたようになっているそれは、どうにか上司のものだと知れた。上司の肉体で残されたものはそれだけだった。
「これは──いったい──」
それ以上の言葉は出なかった。誰もが無言だった。
夜が明けると多くの人々がやってきて大騒ぎになった。上司の家来たちはしかたなくその首だけを引き取って行った。
以来、その東の庁で朝政が行われることはなくなった、という。
────────────────────
・「ねものがたり」は、古典文学・古記録などから気に入った話を現代語訳し、こわい話として再構成したシリーズです。
・話としてのおもしろさ・理解しやすさを優先しています。逐語訳ではありませんのでご注意ください。
出典
『今昔物語集 巻第二十七 本朝付霊鬼』より「於内裏松原鬼成人形噉女語第八」「参官朝庁弁鬼被噉語第九」
底本
『今昔物語集 四(日本古典文学全集24)』昭和51年3月31日初版 小学館