禍話リライト「天井下がりの部屋」(怪談手帖より)
今まで数々の怪異譚を採話してきた某氏の手元には、怖い部屋についての聞き取りメモが複数ある。いずれも曰くつきの部屋についての奇談ではあるのだが、その一つひとつが一般的な幽霊譚とは異なる手触りを感じさせて興味深い、という。
この話も、そんな怖い部屋についての話の一つになる。
*
Aさんの父方の実家は、かなり大きな屋敷構えの日本家屋だった。家柄もそれなりのもので、どうやら江戸時代からその土地に住んでいたらしい。
とはいえ、そういう旧家にありがちな旧弊的な部分は少なく、むしろ当時なりに先進的だった。その家の人たち──Aさんから見た伯父さん、つまり長男にあたる父の兄が家を継いでいたそうだが──も、旧家の一族という言葉から想像されるような、閉鎖的で格式ばったところは全くなかった。居間の大きなテレビで好きな番組を見せてもらった記憶や、当時はまだ珍しかった保温機能付き炊飯ジャーを囲んで騒いだりした記憶は、今も脳裏に鮮やかだという。
ただ、Aさんは内心ではその家のことが苦手だった。家の人たちが嫌だ、というわけではない。前述のように、彼らは割とさばけた人々なのだ。にも関わらず、苦手だ、出来るなら行きたくない、とそう思わずにはいられなかった。
理由は単純なことだった。
その家には怖い部屋があったのだ。
大きな屋敷の最奥に近い一室──元は客間か何かであったらしいその部屋には、子どもが出る、と言い伝えられていた。
子ども、と言われると座敷わらしのようなものを想像しがちだろうが、そうではない、という。
「下がるんだってさ、上から」
逆さまの、向こうを向いた格好の子ども。それが、広い部屋の天井の角からぶら下がる。昼日中に出ることはないが、陽が落ちた夕方以降にその部屋に足を踏み入れると、薄暗い中に、着物姿のそれがぶら下がっている。
「おまけに、なんでそんなもんが出るのか分からないんだよ」
そうAさんは言った。
何でも、何代も前の先祖が残した帳面には既にその部屋に出るものについての記述があったらしい。が、詳しいことが記されているわけでもなく、曰くや因縁ははっきりしなかった。
分かることは、その部屋では子どもが下がってくる、という事だけだ。確かに不気味な話には違いない。
しかし、Aさんが怖かったのは、その部屋とそこに出る子どものことだけではなかった。
この怪異が一家の間で妙な受け入れられ方をしていたことが、輪をかけて嫌だった、という。
「……前にも言ったが、伯父さんたちは別に古臭い頭してたわけじゃないんだよ。だから、迷信だ、って切り捨てるとか、部屋を潰しちまうとか、そのほうが自然なんだ。まあ逆にさ、信じてるなら信じてるでもっと怖がるとか、開かずの間にしてそのことに触れないようにするとか、そんな感じになるのが普通だと思うだろ……でも、どっちでもなかったんだ」
──あの部屋はそういうものだ。
──確かに出るし見えるのだから仕方がない。
──変に怖がるものではない。
彼らは大体がそんな態度を取っていた。
さすがにその部屋を普段使いするようなことはない。が、入れないように封じるでもなく、心張棒のようなもので戸につっかえをしてあるだけで、開けようと思えば子どもでも開けることができた。
「いくらさばけてるって言ってもな、なんだかおかしい、ってのか……」
普段が話しやすい人たちだっただけに、余計にそう感じたという。
「うちの親父もな、もともとはそこに住んでたわけだから似たような感じでさ。おふくろは俺と同じで嫌がってたから、あんまり親父の実家には行きたがらなかったよ……まあ、無理もないわな。酒の席になったらさ、当たり前に話に出てくるんだから」
宴席を囲んだ大人たちが酔っぱらうと、ちょっと懐かしい思い出話でもするかのようにその部屋のことが話題になった。大体は、小さい頃にこっそりその部屋を覗きに行って、それを見てしまった、という体験談だ。
「俺はもうとにかく怖くて嫌だったから、なるべく聞かないようにしてたんだけどさ、どうしたってある程度は耳に入ってくるよな。で、嫌々耳を傾けてるとさ、どうも……その、話してる内容も妙なんだ」
酔い交じりに語られる個々の体験談を聞くともなしに聞いている。するとどうやら大人たちは、その部屋の子どもらしきものが「年々歳を取っている」という話題で盛り上がっているらしいのだ。
『いつも後ろ向きだから分かりにくいが、手足が皺だらけになって、髪には白いものが混じり、だんだんと痩せ細っていっている──』
──祖父母はそんなことを言っていた。
そして、伯父の世代が宴席の中心になるころには、『それはもう半ばミイラのようになっていて、布を巻いたスルメか黒ずんだ大きな魚の干物に見えた──』
──という状態にまでなり果てているらしかった。
そんなことを確かめ合って、そして、笑い合っている。
話好きの叔母などはその話になるたびに、怖いもの見たさで例の部屋を覗きに行ったという少女時代の話をしていた。
──曰く。恐る恐る踏み込んでみると、確かに、薄暗い部屋の奥の天井から無造作に、ぶらり、と下がっているものがある。
それは、年上の世代が見たのと同じように、もはや老いを通り越して衰え、萎び、乾いているようだった、と。
叔母は酒に弱かった。いつも顔を赤くしながら、
「でさあ、」
と続ける。
「でもそれがなんか、顔みたいに見えたんだよねえ」
顔。
逆さになったミイラにしか見えないものの背中のはずなのに、なぜか暗がりの中からこちらを向いた大きな顔のように見えるのだ、と伯母はおもしろそうに言っていた。顔みたいであって、顔ではない。うまく言えないけれど、と。
すると伯父が、喉を鳴らしてビールを干しつつ合いの手を入れる。
「ほら、背中がひとの顔やら目玉やらに見える虫がいるだろ? 虫けらが喰われないために、威嚇のためにってああいう小細工して背負ってる偽物の顔もどき……要はああいうもんなんだろう。あれじゃあ、もう子どもとは言えんがなあ!」
そんな言葉に行きつくのも、そんな言葉にひときわ大きな笑いがどっと巻き起こるのもいつものことだった。
大体の場合、そうやってその部屋の話は終わりを告げた。
「何がおかしいんだか、なんでそんな話を繰り返すんだか、さっぱりわからねえだろ……だから、本当に怖かったよ……」
そんなAさんの言葉に黙して頷き、続きを待つ。
が、彼は眉を寄せたまま、じっとコップの水を飲んでムグムグと口元を動かしている──まるで何かを反芻しているかのように。
あまりに居心地の悪い沈黙に、その部屋にAさんは行ったことがあるんですか、と水を向けた。
するとAさんは眉を寄せたまま、
「あるよ」
と答えた。
「……まあ、よくある話で、要は度胸試しだな」
かつてのAさんは、臆病者と言われるのが怖さに従兄弟たちの誘いに抗えず、嫌だ、嫌だ、という気持ちを抱えたままその部屋へと向かった。そして自らの手でつっかえ棒を外して戸を開け、中を見た。
他の部屋とそう印象の変わらない、畳の敷かれた一室──埃臭い薄闇に浸されたその部屋の奥──下がるといわれている天井へと視線を向けると、そこには──
「何もなかった」
Aさんはぽつりと言った。
「何もなかったよ。子どももミイラも。顔も。それらしく見える影だとか、そういうものも……なんにも」
その時の精神状態からすれば、それらしいものを見ても不思議ではなかった。
むしろ、何かを見たと思い込んでもおかしくはない。そんな状態だった、はずなのに。 「びっくりするくらいね、そこにはなんにもないって感じたんだよ。はっきりと」
そう言い切ってから、Aさんは続けた。
「……でも、俺は叫び声を上げてその部屋から逃げたんだ」
え、と怪訝な声をあげたこちらに言い聞かせるように、
「本当に、何もない。なくなってるんだ。でもやばかった。何もないのに……だからだよな。だから駄目だって、わかったんだ」
そう言う。その記憶がまざまざと蘇っているのか、Aさんの顔からは血の気がすっかり引いていた。
「暗い部屋の、あの天井……なんの変哲もないあの天井を見てたら、思ったんだ。わかったんだ。
ああ、これ、逆さの子どもでもぶら下がってるほうがずっとマシだ、って……!」
程なくして、その部屋で伯父夫婦が並んで首を吊った。
誰にも動機の想像がつかないほど突発的で、わけのわからない死に様だった。ちょうどあの場所の天井板をはがし、その上の梁に無理矢理縄をかけてぶら下がっていた。発見までそう時間がからなかったにも関わらず、二人の身体は足が畳につくほどに伸びきっていた、という。
残された家族にも色々なことがあった。結局、先祖代々の屋敷が人手に渡るまで、一年ともたなかったそうだ。
「なあ……その部屋の子どもってのは本当にいたんだろうかね?」
話し終えたAさんは、誰にともなく、という口調でそう尋ねてきた。
「ただの言い訳で、最初から見えてなかったのか……それとも、あの人らが言ってたみたいに、見えてはいたのがちょっとずつ、腐って悪くなってって……最後にああなっちまったのか」
何も言えずにいると、彼は、
「……どんなに恐ろしいもんでも、形があって、目に見える方がマシなんだぜ」
そう言って口をつぐんだ。
参考
『鳥山石燕「画図百鬼夜行全画集」』角川ソフィア文庫、平成17年7月25日
藤井乙男編『諺語大辞典』有朋堂、明治43年3月
国立国会図書館デジタルコレクションより https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/862766
出典
「かぁなっきの独りごつ」 ※アーカイブは2022年8月31日まで視聴可能https://twitcasting.tv/lateral_osaka/movie/742185808 1:29:40 頃~(原題「天井下がり」 採話:余寒さん)
※猟奇ユニットFEAR飯による怖い話ツイキャス「禍話」有料ライブ版「かぁなっきの独りごつ」にて配信されたリライト可エピソードを、読み物として再構成させていただいたものです。
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禍話6周年を謹んでお祝い申し上げます