ねものがたり⑦「なんとか嫌い」

享保(1716-1736)の頃、御先手──将軍の近辺の警備にあたる役職──の役にあった鈴木伊兵衛英政という男は、ことのほかに百合の花を嫌っていた。
ある茶会の折のことである。まずは食事を、ということで、吸い物が出された。一堂四、五人が、それではと箸を取る。
その中でひとり、伊兵衛だけが身じろぎひとつせず膳に向かっている。おや、と思うと、その顔が尋常ではないほどに蒼白になっていた。
もちろん、主人をはじめ大丈夫かと声を掛ける。すると、彼は震える声でこう言った。


「……もしかして、この吸い物には百合根など入っているのではありませんか」


伊兵衛の百合嫌いは有名な話である。
「いやまさかそのようなことは」
そう言いながらも、主人は膳を覗き込む。他の客も、それぞれ自分の膳へと目を落とす。


──塗りの膳の上に、百合の絵があった。


驚きながらもすべて取り替えさせると、すぐに伊兵衛は快復した、という。


松下隠岐守昭永から聞いた話である。



また、こんな話もある。
土屋能登守篤直の家臣に、樋口小学という医師がいた。彼は極度の鼠嫌いで、入った座敷に鼠がいるとすぐわかる程であったという。
ある日、同僚たちが一席を儲けて茶や食事を振る舞おうとしたことがあった。もちろん小学もこの席に招かれていたが、座の面々よりは少し遅れて来ることになっていた。
そこでこんな話になった。

 
「ところで、小学の鼠嫌いはあんまり異常じゃないか。本当かどうかわからんものだな」

それを受けて誰かが死んだ鼠を手に入れてきた。小学の席の畳と床板を剥がし、その鼠を放りこんで、そのままそ知らぬ顔をして小学がやって来るのを待った。
程なくして小学がやってきた。ここへ座れと言って先程の席へ座らせ、やがて食事も彼の前へと並べられる……が、その時にはもう様子がおかしかった。


小学は全身汗みずくになって、がたがたと震えていた。もはや土気色になった顔の中で、見開いた目の白目だけが鈍く光って見える。
どうした、と周囲が尋ねるが、ものも言えそうにない。


──鼠のことを言ったら殺される。


あまりの鬼気迫る有り様に、誰もがそんなことを思った。
そのことには口をつぐんだまま、あれこれと介抱するうちに、小学が「今日は失礼したい」というような言葉を搾り出した。だから人をつけて家へと送らせる……それを見送って、誰ともなく、
「……それにしても、あんなふうにものを忌み嫌うことがあるとは……」
と言い合ったという。
少しして人をやって様子を聞いてみると、家に帰った小学はほどなく快復し、もう何ともないということだった。


この話は、その席にあった土屋家の鍼医師、山本東作から直接聞いたものである。


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・「ねものがたり」は、古典文学・古記録などから気に入った話を現代語訳し、こわい話として再構成したシリーズです。
・話としてのおもしろさ・理解しやすさを優先しています。逐語訳ではありませんのでご注意ください。


出典
根岸鎮衛『耳嚢』より「人性忌嫌ふもの有事」


底本
根岸鎮衛著、長谷川強校注『耳袋 上』1991年1月16日初版 岩波文庫