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禍話リライト(忌魅恐)「行水する家族の夢」

大学生の頃の話だという。が、もう随分前に取材された話だから、体験者たちももう中年の域に差し掛かっているだろうと思われる。



大学三年生のころに、仲間たちとちょっとした旅行に行ったのだそうだ。
だいたい二泊三日程度、宿は安いビジネスホテルか、何なら車中泊、いっそ野宿でもいい。そんな気楽な旅だった。
ただ、一点問題があった。車の免許を持っている人間が一人しかいなかったのである。例えば院に進学するだとか、すぐには就職を考えていないだとか、そんな友人が多かったせいもある。運転手をしてくれている友人──Aとしておこう──が寡黙で何でも嫌がらずにしてくれる、いわゆる男気のあるタイプだったから、みんな彼を頼っていた。


旅も最終日のことだったという。そんな事情もあったから、少し疲れたから休憩させてくれ、とAが言い出したのを嫌がる仲間はいなかった。これまでも何度か同じようなタイミングがあったが、負担を考えれば当然の話だ。そろそろ午後六時になろうかという時刻になっている。帰り道のことを考えてもしっかりリフレッシュしてもらいたい。パーキングエリアか何かがあればそこで、と言っていると、ちょうどいいスペースがあったのでそこで車を停めた。
「じゃあ俺、三十分か……一時間くらいちょっと寝させてもらうわ」
「いいよいいよ、何か近所に公園とか展望台とかあるらしいし。俺らは適当にぶらぶら時間潰してくる」
「悪ぃな」
そんな会話があった。
Aを残し、全員が車を降りる。どうやら遺跡か何かを整備した場所の駐車場だったらしい。昼間だったらもうちょい楽しめたかな、とか、ここの展望台けっこうきれいに景色見えるじゃん、カノジョいればなおさらな、などと話しながらぐるりと見て回る……しかし、まだ三十分程度しか経っていない。ほかに自販機程度しかない場所だ。スマホで各々時間潰し、ともいかない時代で、あっという間に手持無沙汰になってしまった。
「……戻るか?」
「おう……」
仕方がないので、車のほうへと足を向けた。
夕闇に沈む駐車場に、自分たちの車だけがぽつん、と停まっている。
あれ、と思った。


車の周りに、正確には運転席側の窓にたかるように、五、六人ばかりの人影がある。
特に散歩コースの途中という場所でもない。けれど自分たちのもの以外の自動車もない……? その上、無関係の車を覗き込んでたむろする、などということがあるだろうか?
Aに何かあったのかもしれない、と思った。車内の様子がおかしいので、通りすがりの家族連れが心配しているのかもしれない。こちらも心配になって、駆け足気味になった──、


──が、誰ともなく、また歩調を緩める。
だとしても奇妙だった。もし車内の人間を心配しているのだったら当然あるはずの「大丈夫ですか!?」という声やせわしない動き、焦ったような雰囲気が一切ない。
人影の中のひときわ小さいのは子どもだろう……とすると、あの集団は家族のように見える。おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、そして子どもの家族……その一団が、めだって動く様子もなく、運転席を覗き込んでいる。


……何、この人たち?


ゆっくり近づきながら、ちらりと見合わせた友人たちの顔がどれも強張っている。
そこに声が聞こえた。あの家族連れが、ごくごく普通の、静かな調子で何かを話しているのだ。


「どうしてこんなになるまで放っておいたのかなあ……」
「本当にねえ……」


父親と母親らしい年ごろの男女だ。


「普通、こんなになるまでに処置するよねえ……」
「ねえ……」


そこに、おばあちゃんらしい老婆が加わる。


「死んでるの? 結局」
「どうだろうね、でも、こりゃ手遅れだもんねえ……」
「実際どうだろう、窓越しだから」
「うーん」


そんな会話をしている。
すると、父親らしい男が子どもを抱え上げた。何をする気だ、と思っていると、そのまま運転席を覗き込ませる。子どもに何がわかるでもないだろうに、という気がした。


「ああ、これはておくれだねえ」


どうやら男の子らしい声が、そんなことを言った。それに大人たちが、手遅れかあ……という反応をする。
何してるんですか!などとは到底言い出せない空気だった。一歩、二歩、後ずさる。Aには悪いが、そのまま息をひそめて、車の見えない場所まで戻った。
「いや、いやいやいやおかしいだろ! 散歩? いや、だってこのあたり街灯ないんだぞ! おじいちゃんおばあちゃんに子どもだっているんだから懐中電灯の一本二本くらい持ってるはずだろ!」
「だよなあなんだよあの会話! わけわかんねえよ!」
そんなことをまくし立てて、ふ、と空気が沈む。
「……どうする?」
結局、当初の予定通り、一時間ばかり経ってから戻ったのだという。


車の周りには誰もいない。けれど、元々あまり綺麗ではなかった運転席側の窓に、子どもの手の痕──子どもが指先だけ触れてさっと擦ったような痕跡──が残っていた。さすがに気が咎めて、こっそりと袖口で拭って消しておく。
「おーい起きろ起きろ! 一時間経ったぞお!」
つとめて明るく言いながら、車のドアを開ける。すると、Aがごそごそと背伸びをした。
「ん、んああ、そっかあ……もう一時間経ったか……ん、もう大丈夫。行こっか」
さすがにさっき見たもののことは話せなかった。手遅れだの死んでるだの何だの、そんな話を本人に面と向かってできるわけがなかった。


「……ああ、そういえばさ」
少し車を走らせた頃、Aが口を開いた。普段音楽を掛けながら黙々と運転する彼にしては珍しいことだった。
「いやあ、俺さっきな、ひっさしぶりに子どもの頃の夢見てたよ」
「へえ、子どもの頃っていつ頃の?」
「幼稚園くらいかな……しかし見たくもないのに見たわ。やっぱトラウマになってるからかな」
……トラウマ?
そんな不穏な言葉を聞いてふと思った。誰もAの幼い頃の話を一切聞いたことがないのだ。そういえば、周りがそういう話題になっていても、まったく乗ってくることがなかった。
「何が……って、話したくなきゃ全然いいんだけど」
「いや、いいんだよ」
そしてAはこんな話をした。


「俺、片親でね。ほら、そういう人に向けて行政が斡旋してくれるような住宅あるだろ。低所得者向けっていうか。そこに住んでたんだけど……引っ越したんだよな。ヤバくて……
……うん、詳しくはわかんねえんだけどな、何棟もあるような団地で、色んな事情があってお金がない人たちが安く住めるように、ってとこだったんだけど……全部の棟じゃなかったんだよね、後から考えてみれば。
俺らが入った棟っていうのが……よくわかんないその、宗教なのかなんなのか、まあカルト的な奴でさ。誘ってくるわけだ。棟のリーダーって感じの人がいてさ。その人がうちの母親誘ってくるわけだ。入りませんか入りませんかってさ。
どんな人らかっつうとこれまたわかんねえんだけど。団地の近くに小山みたいなのがあってさ、そこに廃屋があったわけだ。取り壊しゃいいようなところを放置してあって、で、定期的にそこに行ってお参りするだかお祈りするだか、でもって何か取ってくるだか……色々難しいこと言ってたんだけどな。
そもそも気持ち悪いし、うちの母親そういうの嫌いだしで断わったらさ、嫌がらせっつうか村八分っつうか……キツいわな。その上俺に素質がある素質があるって言ってたらしいんだわ。変な話お母さんはいいから息子さんだけでもとか言ってきてさ。あんまり気持ち悪いもんで他の棟の人に相談したらさ、まったく知らなかったらしいんだわ、そんなカルト的なことやってるって。ひた隠しにしてたんだよな……
結局、俺たちはすぐにそこ出たんだわ。ごたごたになっても嫌だしさ、別にそのこと愚痴ってたわけでもないけど、ちょうど親戚が面倒みてくれるってなってさ。まあ出られたんだけど……」


半端な相槌も打てないような話だった。少し黙ったAが再び口を開く。


「……出た後も時々夢見るんだよ。
俺がさ、その、よく勧誘しに来てたリーダーみたいな人に手え引かれてさ、その廃屋に連れてかれてるんだよ。実際は一回も行ったことないのにさ。こっちだこっちだ、素質があるんだから、素質がある奴は受けなきゃいけないとか言って。本当にボロボロの廃屋なんだよ。腐って子どもが乗っても踏み抜きそうなところをさ、ここを伝って行けって言われて。
奥のほうに行ったら中庭みたいなところに出てさ。そこにたらいが並べてあって、そのひとつひとつを使って一家族が行水してるんだ……行水、って言っていいのかわかんないだけどな。溜めてある水でこう、身体を洗ってんだけど、どうもただの行水って感じじゃないんだよ。洗い方が変なんだよな。俺が知らないから行水に見えてるだけで、もしかしたらお清めとか、ミソギとか、そういうことなのかもしれねえんだけど。変な手順がある感じなんだよ。
で、一つだけ誰も使ってないたらいがあって。『さあ、見よう見まねでやってみなさい』って言われるんだよな。『見よう見まねでやってもあんたには素質があるし、もう掴んでるはずだから、似てくるはずだ』って。俺は嫌なんだけど、無理矢理たらいのまえに連れてかれてさ。何もわかるわけないんだけど、とりあえず左手から水に漬けてみるんだよ。そしたら『そうそうその通りだ筋がいいね!!』って……嫌だ!って思ったところで目が覚めるんだよ。いっつもそうなんだ。さっきも久々にその夢見てさ」


……一つ、気になることがあった。


「……その家族っていうのは、何人くらいの……?」
「ああ、小さい子にお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんっていう。気持ち悪いよなあ、その家族のぶんのたらいの横に俺の分があってさ……」


彼を入れれば六人になる勘定だ。
そっか、とか、そうなんだ、という以上の感想を言うことができなかった。自分たちが見たもののことなど、なおさら言えるわけがなかった。


そうこうするうちに、自分たちの住む町へと帰ってきた。一人を降ろし、また一人を降ろし、車の中にはAと、Aと一番仲のいい人間──この話を語ってくれた本人──だけになった。
「……やっぱり諦めてないのかな」
ぽつり、Aが零した。
「諦めてないってどういうこと? ああ、まだ勧誘してくるとか?」
いや、と首が振られる。
「……もうできないはずなんだけどな」
「え?」
Aは声のトーンも変えずに言った。
「いや俺驚いたんだよね。後から知ってさ……報道とかされないのねそういうの」
……何が、と尋ねる。


「高校生くらいまではさ、思ってたんだよ。変死とかしたら何かしらのかたちで報道されるもんだって……
……されないもんなんだな、集団自殺とかしても」


あまりに物騒な言葉に耳を疑った。


「具体的に誰が、とは聞いてないんだよ。ただ、あの棟の関係者が何人か、どうやらあの廃屋で、自ら……ってことらしくて。『最後のピースが足りなかった』とか、そんなことらしいんだけど……
……まだ諦めてないんだよな、きっとな」


やはり返す言葉がない。そりゃ嫌だよな、トラウマにもなっちゃうよな、などと、当たり障りのないことを言うしかなかった。
……奇妙な空気の中、車が自分の家の前に到着する。
「じゃあな、今回は本当にありがとな」
「おう」
そう言い合って車を出た──と、運転席の窓が開く。何事だろうと歩み寄った彼に、Aは静かに笑った。


「お前ら本当にいいやつだな」


何が、と返す。


「駐車場にあいつらがいたの見ただろ? でもさ、俺に気ィ遣って一言もその話しないでくれたじゃん。お前らやっぱりいいやつだな」


一瞬どういうことかわからなかった。


「……お前起きてたの!?」
「起きてたよ。わかるって、ああいうことされたら。ああいうふうに最近もう直で来るんだよ……いやー困るよなあ。まずいよなあ……お祓いとかしたほうがいいのかね。まーだ諦めてないんだからさあ」


そう言い残してAは窓を閉じた。車がそのまま走り出す。
……あの時Aは寝たふりをしていたのだ、とその時気づいた。


別れ際の『困るよなあ』という言葉が脳裏に反響している。その言葉の響きは、例えるならば噛み癖のある飼い犬について語る時のそれと同じ色をしていた。


その後Aに何があったというわけではない。
普通に親交が続き、何事もなく大学を卒業していったそうだ。それから悲惨な死に方をした、などということも、少なくともこの話の取材当時にはなかったらしい。
ただ、そんな目に遭い続けていると人はここまで慣れてしまうのだ、という、それが怖かった、という。



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出典


忌魅恐NEO 第二夜 56:31頃~ (wiki掲載タイトル:「行水小屋六人家族」)
https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/640989982


※猟奇ユニットFEAR飯による著作権フリー&無料配信の怖い話ツイキャス「禍話」の番外編「忌魅恐」にて過去配信されたエピソードを、読み物として再構成させていただいたものです。
※「忌魅恐」とは、とある文芸サークルによって発行されたといわれる怖い話を集めた冊子から、一部の怖い話を紹介する企画です。


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