禍話リライト(忌魅恐NEO)「屋上に行くだけの当番の話」
Aさんという女性から、ある集まりの際に聞いた話だ。
高校時代、彼女は生徒会に所属していた。
「生徒会室は旧校舎の最上階にありました」
旧校舎というだけあって、図書室や美術室といった特別教室以外は、課外活動くらいでしか使われない場所だった。職員室などの学校の中枢へのアクセスがいいとは言えない場所に生徒会室を置くのは奇妙だ。おそらく何らかの事情があったのだろう。
「その生徒会には奇妙な当番があったんです。たぶん、昔は何か意味があったものが形骸化して、そのまま続いているというか……」
それが『一日に一度、夕方に屋上に行くだけの当番』だったのだそうだ。
屋上にはきちんと転落防止の柵が備えらえていて、特に何の問題もなく出入りできたという。そこで五分ばかり時間を潰してくる、というのが、その当番の中身だった。携帯電話も携帯ゲーム機もない時代の話だ。ぶらぶらと屋上を歩き回り、グラウンドにいる運動部の様子を眺める以外は特に何もせずに時が過ぎるのを待つ……それだけだ。もしかすると、かつては防犯上の意味がある行為だったのかもしれない。が、その真意はわからないままだった。
生徒会活動じたいは楽しいものだった。ただ、とAさんは首をかしげる。
「途中で生徒会を辞めちゃった子が何人かいたんですよね。プライベートが忙しくなったとか、人間関係が悪くなったとか、そういうこともなくて……」
学校によって差はあるにしろ、生徒会というのは自ら立候補し、その上何らかの手段で選ばれた意欲のある生徒から成る組織のはずだ。生徒会に所属していたという実績がその後の進路選択に有利に働くこともあるだろう。だから、取り立てて理由もなくそこを辞める、というのは不思議な話だ。
けれど、それで空気が悪くなったということもなかった。おかしなことと言えば、その『屋上に行くだけの当番』だけ。決まった順番があるというわけでもないが、とにかく一日一回、生徒会の人間が一人、屋上へと向かうことになっていた。
特に何の問題もなく、Aさんは高校生活を謳歌した。
「それで、つい最近の話なんですけど」
……一気に時間が跳んだので、聞いていていささか面食らった。
それはAさんがとある大型商業施設で買い物をしていた時のことだった。ふと、買い物客の中に懐かしい顔があるのに気づいた、という。
「一緒に生徒会に所属していた同学年のBちゃんだったんです。と言っても彼女、確か夏だったかな、半端な時期に辞めちゃって……前の日までは普通に生徒会に顔を出してたんですけどね、いきなり『Bさん辞めるって』って聞かされて、そのまま……」
文系理系が違ったこともあって以後関わることはなかったが、そんな経緯から彼女の存在は心の片隅に引っかかっていた。
それとなく高校生時代の面影を確かめていると、BさんのほうでもAさんに気付いたようだった。
「あ、久しぶり。Bちゃんだよね?」
そう声をかけた――瞬間、Bさんの顔が曇った。
「あっ……うん……」
Aさんの問いかけに返事こそしたものの、すぐにでもその場を立ち去りたいというように腰が引けている。その様子があまりにも露骨だったので、Aさんのほうでも困惑の表情を隠しきれなかった。
と、出方を伺っていたらしいBさんが眉を顰めつつ口を開いた。
「……覚えてないの? 何にも?」
もちろん何の心当たりもない。
このまま別れるには引っかかることが多すぎた。そこで、フードコートに腰を落ち着けて話をすることにした、という。
「……じゃあ、本当に覚えてないんだ……へえ……」
多少は怯えの色が薄れたBさんが呟くように言った。
「私が辞めた日のことも、覚えてない?」
これにもAさんは頷くほかにない。少し間を置いて、Bさんは話し始めた。
「……『屋上に行くだけの当番』、ってあったじゃん……」
何のことはない、ちょっとした疑問だったのだそうだ。
「この当番って何か意味あるんですかねえ?」
あの日Bさんは、生徒会長と副会長にそう尋ねたのだという。自分たちはあの当番の意味について何も知らないまま、『そういうものだ』と納得してしまっていることに気が付いたからだった。だからと言って、問題にしようと思ったわけでもない。ただ、ふと思い浮かんだ疑問を軽く投げかけてみただけだった。
が、はっきりした答えは返ってこなかった。
「あー……ちょっと僕もわかんないな……」
と生徒会長が言う。それに、
「うーん、前の代から引き継いでるだけだしねえ……」
と副会長が同調した。
なあんだ、じゃあやっぱり意味なんてないのか、とBさんは納得した。ただ、何となくその質問で空気が変わったような気はしていた。
聞いてはいけないことだったのだろうか、と思いもした。けれど意味はないという話なのだから、と、そういうことにしておいた。
そこまで話したBさんは、一息ついて言った。
「……あの日、当番はAちゃんのはずだったんだよね」
夕刻、生徒会長がBさんに言った。
「ごめん、今日はBが屋上行ってくれる?」
あれ?と思った。黒板の隅の当番を記した掲示に目をやると、そこにはAさんの名前がある。
「あ……はい」
不思議には思ったが、特別難しい仕事でもない。そんなこともあるんだな、という気持ちで席を立った。
廊下に出ると、辺りはとっぷりと夕闇に沈んでいる――にしても、あまりにも暗かった。廊下の電灯が点いていないのだ。そんなことは初めてだった。ぱちりとスイッチを入れる、が、点かない。ブレーカーが落ちているのだろうか、と考えた。あいにくBさんはブレーカーの位置を知らなかった。しかたなくそのまま進むと、階段も薄闇に包まれている。どうなってるんだろう、と思いながらも、窓の残光を頼りに半分手探りの状態で、屋上への道筋を辿っていった。
ガラガラと音を立てて屋上への引き戸を開ける。外の景色が目に入った瞬間、ふと、異様なものを見た気がした。
――それは、戸口の周りに脱ぎ捨てられた何足もの上履きに見えた。
屋上に出る際に上履きを脱ぐ必要があるはずもない。えっ、と一瞬身をこわばらせた後慌てて確認したが、何もない屋上が広がっているだけだ。
嫌だな、という思いを抱きながら、屋上へと踏み出す。何もない、普段通りの夕暮れの屋上だ。けれど、たとえ先ほど見たものが幻覚や残像の類だったとしても、不安の余韻が後びいていることに変わりはない。いつもなら意識もせずに過ぎる五分という時間が、とてつもなく長く重苦しいものに感じられてならなかった。
屋上の端まで行ってフェンスからグラウンドへ目を落とす。しかし、運動部もほとんどが片付けに入っているらしく、人影はまばらだった。これでは何かを見て気を紛らわせることもできない……
と、不意に心がざわついた。何者かの視線のようなものを、自分が来た出入り口のほうから感じる。誰かが来たのなら足音で気づいたはずだ。振り向き、移動してみても誰もいない。怪訝に思いながら、グラウンド側から旧校舎の裏側へと歩を進める。そちら側にはちょっとした中庭があるだけだ。だから見てもどうしようもないが――そう思いながら、下を覗き込んだ。
旧校舎の影の中、何か複数のものが目に入った。え、何、と目を凝らしてやっと理解したBさんは、小さく悲鳴を上げた。
複数のものは人の頭だった。こちらを見るどの顔もよく知っている。階下の窓から、生徒会のメンバー全員が身を乗り出してBさんを見上げているのだ。
「な、何してんの!」
思わず乱暴な言葉を投げかけたが、皆無言かつ無表情のままこちらを見ている。かなり身を乗り出して階上を見上げているのだから、かなり危うい体勢になっているはずだ。けれど誰も身動き一つしない。
「ちょっと! やめてくださいよそういう冗談!」
Bさんは身を翻した。一階下の生徒会室に取って返すのに時間はかからない。廊下の窓は開いたままになっている。どうやら全員部屋に戻っているらしかった。
「ふざけないでくださいよ!」
戸を開けると、生徒会室は真っ暗闇だった。
「何なんですかもう……いいかげんにしてくださいってば! 何がおもしろいって言うんですか!」
パチリ、とスイッチを入れると、自分が出ていく前のままの位置に生徒会メンバーの姿が浮かび上がった。
その目が一斉にBさんを見る……いや、Bさんではなく、その背後にある黒板を見ている。
Bさんもその視線を追って黒板を見た。
屋 上 に 行 く だ け 当 番
と、チョークででかでかと書かれていた。
一人が書いたのではない。『屋』は誰かが、『に』はまた別の誰かが、というように、一文字ずつ、筆跡が異なっている。
何、どういうこと、と絞り出した声が震えていた。が、皆何も言わずにBさんを見ている。あまりの異様な雰囲気に耐え切れなくなったBさんは、私もう帰ります、と言い捨てて学校を後にしたという。
「その中にAちゃん、あんたもいたんだけど、覚えてないの?」
全く身に覚えがなかった。
言葉もないAさんに、Bさんは更に言う。
「……じゃあさ、ひょっとして卒業式の後に揉めたのも覚えてない?」
もちろんそれにも心当たりがなかった。
卒業式が終わり、名残を惜しみあう時間も終わった後のこと。屋上への扉が開け放たれたままになっているのに気が付いたのは、見回りの用務員だった。
不思議に思って屋上に出てみると、屋上の縁のあちこちに上履きが揃えて置いてある。最悪の想像が頭をよぎるには十分すぎる光景だった。慌てて下を覗き込んだが、誰もの姿もない……残された上履きに書かれた名前は、どれも生徒会の面々のものだった。
「ちゃんと上履き持って帰れ、そもそも意味の分からん悪戯するな面白くもなんともない、って怒られたでしょ」
やはり何も覚えていなかった。
「そっかあ、本当に覚えてないんだ……まあ確かに、あの時のあんたら、おかしかったもんね」
そう言うBさんの口調は少し明るくなっている。当事者に打ち明けることで解きほぐされたものもあったのだろう。
「忘れてるんならまあ……いいってことなんじゃない?」
彼女はそう納得したらしかった。
「……でも、」
とAさんは続ける。
「今思えばたぶんその日、Bさんが屋上に行った日のことだと思うんです。ひとつだけ、鮮明に覚えていることがあって」
へえ、何ですか、と水を向けてみた。
特別なことなど何もない、という調子で、Aさんは言った。
「黒板の文字、みんなでいっせーのーせ!で書いたのに、被らないもんだなあって。私感心したんですよね」
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出典
禍話アンリミテッド 第九夜 57:53頃~
※猟奇ユニットFEAR飯による著作権フリー&無料配信の怖い話ツイキャス「禍話」にて過去配信されたエピソードを、読み物として再構成させていただいたものです。
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