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ねんどの素材解説2021(3)モデルマジック、と2009~2011年の制作状況

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ねんど人形の9体目。2009年。ここから、前回までのマンガ特撮キャラクターではなくなりました。

ねんど造型ファンや原型師さんが集まった「関東ねんど会」の幾人かが私も含め「横浜開港150周年祭」での展示に誘われ、参加させてもらうことになりました。原型師さん3人と、映像監督さん。私は写真を希望されたのですが、原型師さんたちが各々のペリー提督を作っているので、では自分もと現代の横浜を舞台にペリー人形が散歩する「おでかけぺるりさん」の製作にかかりました。

おでかけぺるりさん


「ねんど人形写真」の初スタートです。上の写真は、横浜みなとみらい地区。こちらは、赤レンガ館と、ドックヤードガーデン。

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さて人形作成のためにペリーの資料を集めますが、1枚の写真と、横浜でよく見かける似顔絵が出てきたものの・・。それが、似ていない 笑。なので、微妙にどちらにも似るラインを模索しながら制作。後年、横浜での別の展示会で小学生の女の子が「あっ、ペリー」と一目で気づいてくれたので、似顔人形としては何とか及第点でしょうか。

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髪の毛に合計7パーツ使っています。この作り方だと、今のところモデルマジックが最も適しています。自分的には。

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象の鼻地区。ペリーが上陸した場所。

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横浜赤レンガ倉庫。

この頃はカメラにまだチルト液晶などなく、早朝の人出のない時間にこの場所に腹ばいになり、地面にアゴをくっつけたとても苦しい姿勢で撮影しました 笑。この10分後には、通勤の人だらけに。

それにしても、関東だとこんなヘンな活動をしていても、他にもヘンな人がたくさんいるのであまり恥ずかしくないですよね。


人形と写真は、横浜人形の家にて50日間展示。

この写真のサインは当時の横浜人形の家・館長の、石坂浩二さん。

めっちゃ爽やかで、一流大スターらしく格好良かったです。ご自身も造型グループを持たれているほどの模型好きな方で、私達グループと15分の会見予定が、2時間もお相手してくださいました。ありがとうございました。

サインのあて名書きは、故郷大分の、私の母に宛ててもらいました。


これらの作品がウケてくれて、後の活動が始まりました。やっぱり都会は何かと面白かったなあ。



明けて2010年。

お見せできる人形のデータがあまり残っていなくて、何をしていたかよく思い出せませんが「日本の昔ばなし」をねんど人形写真で復活させたいなと、せっせと作ってブログに上げていたと思います。

「因幡の素兎」の人形写真をご覧になってくださった東京の代理店さんから、翌2011年(兎年)の会社の年賀状に使用したいと打診があり、お会いする事になりました。

会社をお訪ねすると、再来年(2012)は「古事記編纂1300年」の年で、出雲神話の里・島根県で100年に一度の催しがあり、2011年開催のその「首都圏プレイベント」に代理店チームでエントリーしたいというお話を伺いました。



東日本大震災


2011年。3月11日。東日本大震災がありました。

関東では、月に1、2度の軽度な揺れは当たり前で慣れっこでしたが、あの長く終わらない揺れは明らかにおかしかった。時間が経ち友人らと連絡がつくたびに、尋常でない被害が実感されてきました。

そして津波のニュース映像を連日目にしているうちに・・。


震災から5日目、出雲神話の神様「スサノオノミコト」を作り始めました。半分ナミダ目になって。

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スサノオノミコトが退治したヤマタノオロチは、洪水(津波、川の氾濫)であったという説があります。島根県の斐伊川は、とても浅い川で溢れやすく、また反乱がおさまった後の濁流のうねった跡がヤマタノオロチの様であったのだと。英雄神スサノオとは、治水灌漑の知識と技術を持った先進集団だか一族であったのではなかろうか、とも見られています。


鯰絵


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スサノオが完成して少し後「鯰絵」というものを知りました。

1855(安政2)年、江戸を中心とする関東平野南部で発生した、安政江戸地震。

M6.9、死者約4300人、倒壊家屋約1万戸とされる安政の大地震の後、「鯰絵(なまずえ)」と呼ばれる、ナマズを題材に描かれた錦絵が流行、江戸を中心に大量に出版されたそうです。

鯰絵の図柄は、鹿島神宮祭神であるタケミカヅチノカミが、要石と呼ばれる大石で大鯰を封じ込めるものであったり、大鯰を懲らしめる庶民の姿を描いた合戦図 であったり、・・大鯰が地下で活動することによって地震が発生するという民間信仰に基づくものでした。

身を守る護符として、あるいは不安を取り除くためのまじないとして、鯰絵は庶民の間に急速に広まったといいます。

電気も科学もなかった時代に、自然の猛威は誇張や例えでなく神の怒りと思えるほ どに恐ろしかった事でしょう。しかしこの鯰絵を見ていると、何ともいえないユーモラスさと、その頃の日本の庶民のたくましさを、遊び心を見て取る事が出来ます。

人知を超えた自然現象に何度も打ちのめされても、このように持ち前の明るい性格と根気で、我々日本人のご先祖様達は恐怖や哀しさを乗り越えてきたのでしょう。


自分も、スサノオノミコト人形で昔の方達と同じ行動を取っていたようです。

現在の疫病禍で流行った「アマビエ」も同じですね。


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スサノオに続いて作った神話人形は「タケミカヅチ」。

鯰絵の図柄にヒントを得ました。風になびくタケミカヅチの髪が良いな・・と参考にしたのですが、よく見るとあれは髪ではなくてナマズのしっぽですよね。2~3年くらい気づかず、これはこれで格好良いので今までずっと誰にも黙っていました 笑。


このナマズは「ハーティクレイ」で「芯」を作り適度に乾かした後、「モデルマジック」を被せて作っています。

ナマズのしっぽの高さまでが23~25センチくらいだったでしょうか。これまでで最も大きなねんど人形です(上の小さいナマズは6センチくらい)。この頃になると、愛用粘土モデルマジックは日本国内では完全に手に入らなくなっていて、eBayの日本語代理サイト・セカイモンを利用し、アメリカから直接購入するようになりました。これで、制作の材料は何とかなると束の間喜んでいたのですが・・(次回以降に続きます)。

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鹿島神宮の御手洗池で。震災よりの復興を祈念しての撮影。2011年8月の終わり。


この頃、昨年お会いした東京の代理店さんから連絡がありました。

「2012古事記編纂1300年」の「首都圏プレイベント」は、大手テレビ局関連の代理店さんチームが受注したそうなのですが、島根県の本イベント担当責任者さんが私のポートフォリオのスサノオの写真をご覧になって「この人、本番で使いたい」と名指ししてくださったそうなのでした。


スサノオノミコト人形。今から見るとまだ技術も出来上がっておらず、申し訳ないほどの拙さが目立ちますが(現在スサノオは3代目まで作り直しています)、日本の美しい風景が津波に飲み込まれていく映像がショックで、半泣きになりながら作った時、自分の仕事と人形に「魂」が入ってくれたのだなと、そう思いました。


神話博しまね


「黄泉の国」
「ヤマタノオロチ」
「因幡の素兎」
「国譲り」
「国引き」


5つの出雲神話を各5カットずつの「ねんど人形写真」に。また、その5つの出雲神話で展示用「ジオラマ」を制作。ねんどのワークショップも、常設とスペシャル(渡邊が直接指導)の2通り企画してほしい。

ということになり、10月に初めての出雲をロケハンと、打合せに伺うことになりました。


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「ヤマタノオロチ」ジオラマ制作状況報告と完成予想図。2012年2月。

「スタイロフォーム」で作った型に粘土を盛り付けて、ジオラマベースを制作。この時点ではPhotoshopで色づけしています。

スタイロフォーム・・断熱用の建材。発泡スチロールが固くプラスチック寄りになった感触。ジオラマベースなど大型工作の必需品です。


そういえば「ねんどの素材解説2021(3)」なのに、今回ただのおっさんの昔語りみたいになってますね 笑。年代順に思い出しながら記しているとつい脱線が長引いてますが、気長にお付き合いしてやってください。



「鯰絵」の項目を書いている途中で、note公式で「#わたしの舞台裏」というお題で募集がされていますね。ちょうど今回の内容と合致しているので、こういう企画にも初参加してみましょうか。

 #わたしの舞台裏

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