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選挙行けって、言うなよ

今日は衆議院議員選挙の投票日。
みなさん、投票行きましたか?

私は、たびたびある「選挙」というイベントに、なかなかの情熱を注いでいる。
ちなみに、政治には全く詳しくない。
前回の記事にも書いた通り、政治関連のニュースを見ながらも内容が全くピンとこず、小並感満載の感想を抱いている程度には政治に疎い。

しかし、選挙となると話は別なのだ。
選挙に行かないと言う人がいると、本気で叱りたくなるし、私は選挙に行かない人とは友達になれない。
たまたま前のバイト先で、(後に友人となる)移住してきた若者たちが「選挙行こう!」という流れを街に作り出したのも、選挙に対する熱意がある理由の一つ(投票済証を見せたら、ドリンクが安くなるだかの選挙割などもやっていた)。
私は政治には詳しくないけれど、この国に暮らしていて、ときどきあまりの生活のしづらさに、国の制度やルールにひとこと物申したくなることがある。

そんなこともあり、私は投票日をスケジュール帳にしっかり書き留め、事前に誰に一票を投じるか、何日も前からめちゃくちゃ吟味する。
選挙は成人した大人の義務と思っている。
昔モー娘。が歌っていた「選挙の日って家じゃなぜか 投票行って外食するんだ」という歌詞が、選挙のたびに自分の頭によぎり、友人たちもまたその歌詞をSNSにあげたりしているし、本当に選挙行って外食してる人もいて結構面白い。

以前は選挙に対してそんなに深くこだわりがなかった私だが、社会的な思想や意見をしっかりと持っている友人に恵まれたこともあり、わたしは「選挙行かない人、めっちゃナンセンス〜」とか「今どき、それはダサい」とまで思うようになった。
選挙は、国民が唯一、投票という形で国政に参加できるチャンスだ。
今は、アンケートみたいなのに答えていくと推し政党を示してくれるような、便利なウェブサイトまであるのだから、逆に行かない意味がわからない。

それくらい選挙に対しての熱意を持っている私だけれど、本日投票日、朝から体調が優れなかった。
全身と頭の痛さで早朝4時半に目覚め、あまりの痛みに薬を飲んで二度寝してみたものの、二度寝から起きてもまだ痛くて、何なら倦怠感がプラスされていた。

私はまず選挙の心配をした。
だって、私は投票日は丸1日選挙のために空けているし、期日前投票には行っていない。
今日しかないのだ、選挙は。

体の痛みに唸り声を上げつつ、朝からスマホで「投票所 行けない」と検索した。
「不在者投票」と言うものが検索結果に出てきた。
自治体に本人が行けないことを連絡して、郵送で投票用紙などを送ってもらい、それをまた送り返すものだ。
しかし、郵送なので、当たり前だが今日の今日ではその方法は使えないし、よく見るとそれは身体障害者手帳や、介護保険被保険者証、戦傷病者手帳がないと利用できない制度なのだった。
「もしコロナになった人はどうするんだろう」と思って調べたら、どこかの自治体のHPに「体調不良の方はマスクをつけて来てください」というようなことが書いてあった、
つまり、「何が何でも会場に来い」と言うことだ。

私は、投票に行くまでの、ベッドに横たわって痛みに耐えている間、「選挙行け」という趣旨のSNSの投稿が目に入るとやけに辛かった。
選挙行け、と散々自分が周りに言ってきたのに、選挙に行きたいのに行けないかも、どうしよう、という身からすると、その言葉がとてもしんどくて、「選挙行けって言うな!」という気持ちにすらなった。
人間は自分の置かれた状況が一変すると、大切に思っていた思想までも簡単に覆るのだなあ。

幸い、私は車で3分の投票所に父が送迎をしてくれ、介助を受けて、大汗をかきながらも投票することができた(帰ってきてしばらく寝込んだ)。
そして、ふと思った。
もしも自分が本当に本当に寝たきりで、でも手帳がなかったら、投票はどうなるんだろう、と。

本当に届けたい人の声が、届かない

私は真っ先に、「痛みで外出が全くできないが、手帳交付は受けられていない」という知人を心配した。
しかし、当人が投票についてどう思っているのか私にはわからないので、下手に「投票いけた?」などとも聞けなかった。

現時点で、寝たきりなど外出が困難な人の投票は、先ほどの手帳や被介護保険者証があれ郵送で投票ができると総務省のHPに記載されている。

これは便利な制度ではあるが、逆を言えば、それらの証明書がない限り、投票所に出向かなければならない。
コロナ禍ではコロナ罹患者もこの制度を特別に利用できたらしいが、5類に分類されてから、条件は証明書を持つ人のみになっているようだ。
(現行の制度ではない可能性もあるので、実際に使ったことのある当事者の方で加筆や訂正があればコメントにぜひ…!)

コロナが爆発的に感染拡大し、それに伴って後遺症患者が増え、生活に影響を及ぼすような症状と付き合いながら暮らしている人がたくさんいる。
後遺症で全身が麻痺して自力では動けない人も知っている。
私が知っている限り、そういう人たちは国から「障害者」と認められている人は少ない(後遺症の代表格である線維筋痛症でも、わずか15%しか障害者認定されていない)。

私はこの不在者投票の情報を知った時、本当に強く思った。
見ず知らずの他人様に”お前は障害者だ”と烙印を押されなければ、国に自分の声を届けることもできないなんて、悲しすぎる」と。

世の中に、障害者になりたいと願う人なんていないだろうに、障害者の烙印を押されなければこの国で障害者として生き抜くことは困難を極める。
例えばそれが、制度の狭間にいて何年も生きている人ではなく、「手帳の申請ができるようになる6ヶ月経過を待っている」とか、「申請したけど結果が出ないので手帳は持っていない」という私のような人も、その時点で生活にはすでに支障が出ているし、その間に投票日が重なるとなれば、状況によっては一大事だ。

ネットで投票できるとか、マイナンバーを活用するとか、それはそれでリスクもあるのかもしれないし、運用までに時間がかかるものかもしれない。
でも、そんなシステムがあったらいいなあと強く思った。
多分どこの国でも紙の投票が主流だけれど、海外と日本では障害に対する概念をはじめ、障害者を取り囲む環境が日本とは違うので、また日本の障害者とは困りごとの種類も違うのではないかと推測している。

制度や支援が使えるからこそ障害者は輝く

全然関係ない話だけれど、最近「私は車椅子でも自由に生きています!」という人をテレビやSNSで見ると、すごいなあと思うと同時に、少し心が捻くれる感じがする。
健常者みたいに暮らしたいという願いを持って、健常者みたいな生活を実際している障害者は、実際そういう人たちが使える制度や支援を一切与えられない人たちに想いを馳せることがあるのだろうか、と何だか卑屈になることがある。
みんな平等に6ヶ月の空白の期間はあれど、身体障害者手帳が交付されやすい人と、なかなか交付されない人がいるし、その期間を治療やリハビリに充てたりしてそっちを頑張る人と、ただ何をすることもできず生きることだけを頑張る人とでは、また見える世界が違うのだろうな、と思ったりもする。

私も11月におそらく手帳の結果が出る。
もしその時身体障害者として認定されたら、もちろん支援を受けられるからとても嬉しい。
でも、国に一票を投じることもままならない人たちのことを私は絶対に忘れたくないし、自分が経験した辛い思いや苦しさもちゃんと覚えていたいと思う。
そして、少しでも制度の狭間にいる人たちに、手を差し伸べられるようなアクションができたらいいなとも。

私は、今日這いつくばりながらも、無事に一票を投じた。
とても幸せなことだ。
投票用紙に政党名など、震える手でしっかりと書いた。
美談かもしれないが、誰も取りこぼすことなく、みんなが平等に安定した生活ができる、そんな社会になれ、と強く願いながら。

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