見出し画像

あなたの苦手な人の、「好きなところ」はどこですか?

昨日はよく落ち込んで、よく泣いた日だった。
いつもは「多様性のことをみんなに頑張って伝えていくんだ」「一緒に考えていくんだ」と息巻いている私の頭から突然言葉がなくなり、悲しみとか苦しみとか、自分はなんでこんな体になってしまったのだろうという情けなさとか、みんなに迷惑かけているという申し訳なさとか、そういうものに取り憑かれたようになっていた。

「みきちゃんって、障害があるのになんでそんなに笑顔でいられるの?」って言われることが本当によくある。先週もそう言われたばっかりで、その度に「えー、そんなことないですよ、私だって泣いたりしてますよ!」と笑っているのだけど、本当にそうなのだ。
私は、明るい障害者に見える時があるかもしれないし、社会を客観的に見てる瞬間もあるかもしれないけど、昨日みたいにもうどうしようもなく負の感情に囚われて抜け出せなくて、社会に知ってもらう以前の、自分との闘いになってしまうことはたくさんある。
だって飛び降りを企図するくらいです、私ってすごく根がネガティブで、自己肯定感がほぼゼロで、でもだから障害者になったんです。
みんなに見せてる笑顔なんて、私のたった一面にしか過ぎないんです。

人間は多面的なサイコロを持って生きている


そう、私もあなたもあの人も、人間というのは多面的な生き物。
それぞれのサイコロを持って生きています。
私の場合、「クリエイター」とか「絵描き」とか「アルバイター」とかいう面があって、「障害がある」はそのたった一面に過ぎない。
昨日の私は「悲しくて悔しくて情けなくて申し訳ないネガティブな自分」が上に来てました。
いつもみんなに見せてる笑顔やたまに出るポジティブさも、多面的なサイコロの中のたった一面に過ぎません。

サイコロの面は、人生の中の運で決まったり、自分で獲得できるものもあります。
でも、1回面が決定したら、それを変えるのってすごく難しい。
労力も時間も必要になるし、もう変えられない場合もある。
特に「運で決まった面」つまり好きで持ってるんじゃないとか、無意識のうちに決定してしまった面は、周りが理解しないといけないこともあるんです。
でも周りも周りでそれぞれのサイコロを持っていて、こっちが理解しなきゃいけないことももちろんあります。

例えば「あの人のこういうとこが無理なんだよね〜」とか思ってたって、趣味が合えば結構簡単に意気投合できるし、追っかけてるアイドルが同じだったら一緒に声援を送ったりする。
バリバリ仕事をこなす大手企業のサラリーマンが、家に帰ったらめっちゃズボラかもしれないし、学校で超いじめっ子が成績優秀なこともあるんです。
私は「ねえ、ほんとうの多様性って何だと思う?」ってみんなに問いかけたり、それを自分で考えたりするけど、昨日みたいにものっすごくマイナスでネガティブな一面も持ち合わせています。

私は「みんなそうだよ」って言葉が大嫌いだけど、多面性に関しては「みんなそうかも」と思う。
多面的と言っても、中には持つ面の数が少ない人も多い人もいる。
それがいいとか悪いとかはなくて、大事なのはその人の持つサイコロのたくさんの面をよく観察して、「あ、この人のこういうところ苦手だったけど、こんな一面もあるんだ」って気づくこと。
今見てる面の反対側の面を想像する力を持つこと。
そして「この人はこんな一面を持ってる」だけじゃなくて、「それでどんな不自由をするだろう」「どんなことで困っているのだろう」という、ひとつの面の一歩その先に思いを馳せること。
それって、「多様性の理解」とかいう以前の「お互いの歩み寄り」みたいな感じかなあ。

私はこの「サイコロ観察」をみんなができたら、社会はだいぶ変わると思う。
私の場合の話だと、私は発達障害を持つ人となかなかうまくいかないタイプで、今まで発達障害を持つ人と幾度となくぶつかってきたし、もう理解するのは難しいのかなあ、と思うこともある。
でもよくよくその人のサイコロを見ていると、「苦手だな〜」と思う面だけじゃなくて、「創造力」とか「行動力」とか、「発想力」とか、素晴らしい面もたくさん持ってることがあるんです。
それがたまに仇になっちゃう時があっても、その力を持ってるということが素晴らしいと思うし、違う方向にその力を向ければすごくいい仕事だってできると思う。

私は「この人のここが苦手だな」ってところばっかりを見てしまうけど、よくよく色んな面を見ていると、こうやってその人の素晴らしいところも見えてくる。
するとちょっと苦手とか、合わないなあ、と思っていた存在の、「ここが素敵」ってところが頭の中にどんどん自然にピックアップされていくようになる。
この間、「多様性は心のバリアフリーから始まる」って記事を書いたけど、もっと深いところを言えば、「心のバリアフリーはぞれぞれの歩み寄りから始まる」と思う。
社会という大きな円があって、そこに「多様性」っていう水が入っているとしたら、ひとつひとつの点がつながらなければ円ができなくて水が溢れちゃうでしょ?
私たちがそれぞれ点だとして、ちゃんとみんなで手を繋がないと、どっかで途切れちゃったり、穴が空いたりする。
その歩み寄りに必要なのが、相手の持ってるサイコロを知ることと、観察することなんじゃないかなあ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?