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「多様性」の第一歩は、あなたを知りたいという気持ちだった


先日、美容院に行きました。
今私は行く美容院が見つからず(任せていたスタイリストさんが遠くに異動してしまい行く美容院がなくなりました)、とりあえず「ここ、おっしゃれ〜!」と通るたびに思っていた美容院を前日の深夜に予約しました。
ここ数日気分が落ち込んでいたので、気分転換も兼ねて。

しかし、行ってみたら入り口からまあまあ段差!
確認を怠った私が悪いのですが、思ったより段差、しかも雨。
某予約サイトの備考欄に「車椅子です。介助をお願いします。」と書いたので、美容院の方もわかっていたのか、予約時間に私が着くと、外に出てきてくれました。
美容師さんはウィリーのさせ方を知らなかったので、私がウィリーして、美容師さんに押してもらって入店、という形でした。

美容院というのはシャンプー台までが段差になっていることが多いです。
こちらのお店も例によって、シャンプー台まで段差がありました。

どうしよう、絶対上がれない!

しかし、美容師さんが「ここに捕まって上がれますか?」と指したのは、流木の手すりです。
おしゃれなのに、しっかり手すりなんです。
そして片方は手を貸していただき、上り下りをしました。
下りるのはかなり怖かったですが、「何かあっても、大丈夫、助けてもらえる」という安心感がありました。

美容師さんと、車椅子の話をしているとき、美容師さんはこんなことを言っていました。
「ここは、お客さんのサードプレイスになるような場所を目指していて。ほら、身近な友人とかに言えなくても、第三者だったら言えることって、あるじゃないですか。そういうふうに、友達でも家族でもない、でも身近な存在としてここを利用して欲しいんです」。

私は思いました。
ああ、こう思うことがそもそもの”心のバリアフリー”の第一歩なんだ!」と。

その美容師さんは、美容師さんから私がなんで車椅子なのかとか、怪我ですか?とも聞きません。
「興味本位、自分本位」でお客さんと接しない、というようなこともあるのでしょうが、好奇の目で見られがちな車椅子ユーザーに対して、興味本位で「どうして」という疑問をぶつけない、ということができない人も時々います。

過去にある美容院に行ったとき「怪我ですか?」と聞かれたことがあって、そこから話を膨らませようとしたのかもしれませんが、ちょっと嫌な思いをしたことがありました。
「精神疾患で」というと、「あ〜」と困ったような残念そうなリアクションをされたこともよく覚えています。
そういう人もいる世の中で、「興味本位、自分本位」にならず、相手の立場で考える、ということができる。
それが障害者に対する「心のバリアフリー」だと思うんです。
お店から出てきてくれること、段差で手をさりげなく貸してくれることもそうです。

心のバリアフリーは「愛」から始まる

わたしの働く、「バリアフリー」のカフェです

話は変わって、私のアルバイト先は、お店が3階まである古材、古道具屋です。
1階はカフェになっていて、私はそのカフェ内で軽作業のバイトをしています。

まだこのカフェに通っていた頃、カフェは段差と細い動線でできていました。
トイレまで約数メートル、車椅子の通る幅はなく、仲間にしょっちゅう助けてもらったり、窓を這うようにしてトイレに行っていました。
そのとき、「もうさ、多目的トイレ作っちゃおーよ!」と声を上げてくれたのは、介助を手伝ってくれていたそのお店の社長さんや、奥さんや、働くスタッフたち
誰ひとり、「えー、やめとこう」という人はいません。

多目的トイレを作るには、大きな課題がありました。
そもそもカフェ自体を改修しないと、多目的トイレできないじゃん!ということです。
これは私もかなり「いやー、申し訳ない…」と思いました。
だって、カフェ改修にはお金がかかり、時間と労力がかかります。
自分たちで改修するのだし、その期間中カフェはオープンできないので尚更です。
私が「おおお、なんか申し訳ないよ〜」と思っている間に、「なーに言ってんのさ!任せときな!」と言わんばかりに仲間たちはカフェ改修を進めていきます。
そしてあっという間に3ヶ月。
カフェはバリアフリーになり、多目的トイレが本当にできちゃったのです!

新しく出来た多目的トイレです

正直この記事を書きながら、改めてみんなの愛を感じて泣きそうになっているのですが(笑)、1人の車椅子ユーザーが「困っている」という現状を目の前に「多目的トイレ、作っちゃおーよ!」と言える、それが心のバリアフリーだと思うのです。

私のバイト先のみんなは、「環境をバリアフリーにする」前に、「心のバリアフリー」を実現できたから、物理的バリアフリーも実行できたのだと思います。

しかも嫌々とか義務感ではなくて、自分たちが「やるぞっ」という気持ちで取り組んでくれたのは、本当にこの世の奇跡だと思います。

トイレへの動線。とても広くなりました。
手前が多目的トイレ、奥は普通のトイレです。

仲間たちは、自然の中に研修に行く時も、忘年会をする時も、「みきちゃんもおいでよー!」と誘ってくれて、必ず車椅子を使う私を輪の中に入れてくれます。
具合が悪くて泣いている時は、無理に励まそうとしたりせず、背中を撫でたりハグをして、冗談を言って笑わせてくれます。

障害者一人一人に必要な支援は違うから、支援は難しい。
でも、人の気持ちを想像することは、やろうと思えばできる。

健常者同士にも言えることだけど、それを見事にやってのけるのが、私の勤める「Rebuilding Center Japan」という会社なのです

倫理的とも言える「心のバリアフリー」は、この日本の、世界の、新しい文化であり、概念です。
一人一人が「義務的」ではなく、「知りたい」と思って人の気持ちを知ろうとすること。
心の壁を取っ払うこと。

それができなければ、「多様性」はこの世が終わるまで実現しないのです。
「心のバリアフリーは、多様性社会の始まり」なんです。

私は健常者をとても羨ましく思います。
健康でいいな、と。
見える障害の人を羨ましく思います。
理解されやすくていいな、と。
でもその人たちがこの国で抱えている葛藤を私は知りません。

だから知りたい。
歩み寄りたい。
みんなのキラキラした部分だけじゃなくて、「困った〜!」と頭を抱える瞬間を知りたい。
それが私にできる「精神障害当事者」としての心のバリアフリー、多様性への第一歩だと、思っています。

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