炊事場の美しさ
4年半の一人暮らしを終え、居候の身として実家に戻ってきた。
しばらくは居座るので、本腰を入れて家事手伝いを始めたわけであるが、一人暮らしを経験したことで気がついたことがある。それは、「実家は綺麗だ」ということだ。
実家自体が綺麗ではないし、台風が来たら吹き飛びそうなほどの家だが、日々使う場所を綺麗に保とうとする母の努力によって「綺麗で清潔」な環境が整っていたことを知った。
特に、母が夜に炊事場で行う作業を改めて注視していると、私のキッチンの使い方とまるで異なることが明らかとなったのである。(実家のキッチンはなんとなく「炊事場」と呼びたい)
食器類の洗浄から、五徳の掃除、ゴミ出し、と毎日欠かさず水回りを綺麗にしている。小さい頃から当たり前だと思って見てきたけれど、この当たり前がいかに難しいか、ということは今になればよくわかる。
私が一人暮らししていた時は、数日食器を洗わなかったこともあったし、IHが汚れようと気にしなかった。壁に油がはねても、水垢でステンレスが黒ずんでも「そういうものだ」として認識していたので、「清潔に保つこと」を気にしたことがなかった。
一方、実家の炊事場は経年劣化は別として、掃除していないなと散見される汚れがなく、ステンレスも綺麗に光っているのである。これが母の偉大さかとようやく気がついた。綺麗さは何もせずに生まれるものではない。毎日の掃除と努力なしでは、本当に目も当てられないほど汚れが溜まっていくことは身をもって知ったからこそ、母たるものの凄さに頭が下がる。
今後の目標は、清潔を保つための極意を学ぶことである。次の一人暮らしではより綺麗な家にできるよう、日々の身のこなしを体に染みつけておきたい。
最終的には母がより快適に過ごせるようにできる限りのことができたら良いなと考えている次第だ。
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