自分で哲学を作って遊んでみた
良くも悪くも頭オカシイと言われる私ですが、根本的には哲学好きというのがあるんじゃねーかなと。
ここ最近持った1つの確証として「世の中の全てのものは同じである。」というのがあるのだわ。
冷静に考えてみよう!
・科学的に考える→高校までに習ったように全て粒か紐(原子だか分子だか知らないが、とにかく粒。超弦理論的には紐か波動)なのだから同じ、違うように見えているだけなのでは?
現に極近くに近付いて見ると粒粒なので同じだし、遠くから見れば全て粒に見えるので同じ。リンゴとバナナの違いを錯覚するのはしょせん数センチ~数メートルの距離から眺めたときのみであり、世の中の広さが無限大に近いとするとあまりにも狭い範囲でのことであり、バイアスかかりすぎている。
・定義から考える→定義を明確化しようとして何故を繰り替えし続けるとコギト・エルゴ・スム(=我思う故に我あり)になる。
この世の全て(考える我という主体の存在を除く)の定義は「あるのかもしれないし、ないのかもしれない何か」となり、定義が同じなのだから違うと考える方が不自然。これは仏教の色即是空にも近い気がする。
・物質も全て波動、若しくは紐、エネルギーである。(観察者がいることで波動が物質になる2という事が2重スリット実験で実証済)。
・ソクラテス曰く無知の知なので、全ての意思決定のクオリティーは同じでリスク・リターンは常に釣り合っている。(生と死の優劣から樹形図を書けば分かる)
ワイはこういう考え方なのよね。
で、それを過去の思想や宗教と整合的な部分を探し出すと以下のような感じになったのだわ。
⑴キリスト教(イエス/聖書)
→神「私はαであり、ωである」(αとωは英語でいうAとZ)
即ち神は全てであることを表す、依って全てが神なのだから全て同じ
⑵仏教(釈迦)
→『自我の消失』というのは、自信の存在がこの世の全てと同じであるという事の認識。また、色即是空については上述の通り。
⑶イスラム教
→調べわすれたわw
⑷イデア論
→「全てのイデアと同じもののイデア」が存在しないと論理破綻する、そしてそのイデアは他を全てを説明できないとオカシイ。
⑸『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』byカント
→要はクリティカルシンキングしろってことで、それをやるとコギト・エルゴ・スムなので以下略。
⑹素直になれ
→素直になると確実にデカルト「コギト・エル・ゴスム」やソクラテス「無知の知」に行きつく。
⑺陰陽道
→下図の説明は本質的には全てが「同じ」でないと成り立たない
調べてみて。
⑻ポジティブシンキング
→全てを「同じく」ポジティブと捉える
⑼ひろゆき「それってあなたの感想ですよね?」
→全ての意思決定はそのベースになる知識を有しないので等しいクオリティ
依って、何を言っても感想しかいう事は出来ない