走って渡りたくなる横断歩道がある 大きくて長い パチンコ屋が一際かがやいてみえる どこか薄汚れてみえた コンビニの人工的な輝き 食べたかったアイスはなかった 悴んだ手で食べるアイスは孤独を感じさせた ヨネックスに身を包まれた高校生の集団 自転車に乗った同級生に追い越された 人生も置いて行かれた気がした
あの子はまじで天使。 だとかそれめかしいことを言う人ってたくさんいるわたしは大嫌い。 だってそれって、人に善悪の善をつけるときの意味で言ってるでしょ? 善があれば悪もあって、天使の対義語である悪魔は悪になりますよね つまり、誰かに対して天使という言葉を使った時点で反対も存在するわけで、悪い人が存在する、ということになります 善が生まれれば自動的に同じ瞬間に悪も生まれることになる そもそも天使は概念ではありません わたしは天使と呼ばれるあの子が大天使ミカエルと同じベク
わたしの家があまり裕福な方ではないからそう思うのかもしれないけれど、お金があるかないかは幸福度に大きく関係していると思います。 第一、お金がない人で心に余裕がある人はすごく少ないと思います。なぜなら、この円安で何もかもが高い中、常にお金のことを考え続けないと生活できないからです。お金のことを考えないでいい時間がもう少し長くなったらいいのにな、といつも思います。わたしの頭の中はお金に支配されていて、そろそろ頭がおかしくなりそう いや、もうおかしくなっているのかもしれない
あの子は今、どこで何をしているのだろう。 小学3年生で今の学校に転校してきたときは もちろん友達はいなかった。 そこで帰り道に話しかけてくれて、そこから中2の終わりまでずっと、顔を合わせれば話すような関係だった彼女は、中3の始めに名簿から名前が消えていた。 彼女の両親は離婚していて、母親とふたりで暮らしているということはずっと前に聞いていた。 自分の親も離婚寸前をずっと彷徨っているから、明日のわたしは彼女と同じかもしれないな、と思っていた。 中学生に上がって、彼女の姿を
亡くなる2日前、祖父は私たちに尋ねた。 「お前たちは今、幸せか?」 詰まった。 そんな柄にもないようなことを問うということは、もうすぐそのときが来ると感じていたのだろう。 いつだか憶えていないけれど、確かにあと半年くらいだと私も伝えられたような気がする。 というのを今思い出した。遅い。 だから、そのときの私は、いつまでも続くとさえ思えていた。 永遠とも思えたその時間はもうじき終わり、そのときは本当に近いんだとそのとき若干理解した。(頭が悪いので、そのときあまり気に留めな