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抑うつ傾向について

寅年こんにちは。再診に行けていないけれど。体も動かなければ食事も食べていないけれど。体重も減っているけれど。生きています。

親がどれだけ鬱について考えて、把握して、理解しようとするのか、しているのか、この3か月間様子を伺っていました。(とかいってそんな余裕はないけれど

そして、昨日は私が好きなSHINeeのテミンさんが鬱とパニック障害が悪化したということを知り、約4年前に亡くなったジョンヒョンさんの遺書を電車の中で読みました。

なぜ生きているのか、という問いが常時自分につきまとい、それが内側から何かを、自分自身を、むしばんでいる。
なぜ生きているのかと皆に聞いても、全てが、ただ生きているから。という一緒の答え。仕方ないから。生まれてきたから。

親になんで生きているのか、という話をしたとき、「生きるために仕事しないといけないから。」「生きないといけないから。」

そんな話でした。生きて、死ぬ。その間は生きるために死ぬのか?死ぬために生きるのか?福沢諭吉さんの学問のすゝめを読んでいても、

自立は素晴らしいことだけれど当たり前で、それ以上に社会に影響を与える人が必要で、尊い

とあったが、利己主義で利他主義。それをどちらもバランスよく持っていないといけないのかというのが、私の中間感想でした。

中学の時、遺書という本を読みました。精神的に落ちていて、自殺についても考えていたから。他人事と自分事の境目がわからなくなっている時期でした。

だから、昨日この知らせを知って、遺書を見て、如何ともしがたい気持ちを抱えてこれを書いています。

それから、薬のことについて話しても、自分の会社の誰だれは話せないくらい、ずっとぼーっとしていた、ということを毎回話される。毎回、ということは、「私」について、フォーカスしてくれていないということで。認めてほしい、知ってほしい、関心を持ってほしい、そんな子供の気持ちが無意識にあるのだろうか、と思うと、甚だ愉快なことだ。

それから母親にも鬱について話をしたとき、いつかの日に、「じゃあどうしたらいいの?どうしてほしいの?」と。答えることはできなかった。なぜなのだろう。

みんな余裕がない。私も。お金にも。幼いころから親には良い子でいるように無意識に、あるいは意識的に接して。話も悩みも話した記憶はあまりない。だからこそ、鬱について話すのにも口が重かったです。

片親と離れて暮らしてきて、父とは大学で初めて長く暮らすことになり。それから父がどんな人なのか、どれだけ自分について知らないのか、離れて過ごしていたらどれだけ相互理解が難しいのか感じさせられました。

それでも、家族だけは、周りにいる友達だけは私を見守って、味方でいてくれると思っていました。勝手に。

図書館に借りた本も返せていないし、部屋は掃除しないといけないし、ご飯は食べないといけないし。薬は飲まないと立ち眩みがするし。バイトどうするか考えないといけないし。やることはいっぱいあるけれど、ないにも等しい。

昨日友達と会った後の高揚感と虚無感が襲ってきてアンビバレンスな感情でジェットコースターのようでした。本当に虚無の中、鍋を作ったのは自分を褒めたいと思います。楽しかった、また会える、という気持ちがあるだけで幸せなのはわかります。そして今日を迎えることができました。

結論、親は私の話すことに耳を傾けて、ただ話を聞くことに徹することを意識しているようでした。それでも、わかってもらうのって難しいですね。わかってもらおうとする気持ちが自然なのだろうか。でも、明らかに話の聞き方が前と違うので、まだ話しやすいのはありがたいことですね。

今週は毎日予定があったので、我ながらよくやったなと思っています。自分が納得して立てた予定で、一日一日を過ごすことができたので、御の字。

多分あと1年は休学する予定です。母から卒業する気はあるの?って度々聞かれるのがしんどいけれど。ありますよ。今のところ。新卒って何なんでしょうね。

なんだか眠気も襲ってきたので、今日はこれで。



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