誰かの退職
ここの職場で働いて約1年。
この間に5人の退職を見送った。こういう時期なので送別会などはないが、辞められたことはメッセージカードと共にデスクに置かれてあったり、翌月のシフトで名前がなくなっていたり。
周りも慣れているのだろう。淡々と日常に流れている。
その人たちを見ていて、「ああ、私も辞めたいなぁ」って思うことが増えた。
私は社交不安障害があり、仕事で対応出来ないことがいくつかあることで薬を飲み、そのできないをできるに変える。そんな条件と引き換えに、帰宅してからの気怠さ、気絶するように寝てしまう。自分の意志に関係なく襲う睡魔、薬を飲んでない時の感情の不安定さ。
こんなことをいつまで続けるんだろう。
少しずつ減薬チャレンジをしている今、とにかく頭に毎日よぎるのが「やめたい」だ。
辞めたい理由
上司問題や同僚問題。
自分が行ってる業務。
私自身の精神状態。
辞めたらいいじゃないか
そう、辞めればいい。簡単なことだ。
だけど、現実は薬を飲まないと私のできないをできるに変えることができない。
とりあえず、減薬をしてみて無理だと思ったら考えようと思いとどまっている。
本当の自分を取り戻したい
薬を飲んでいるのも自分だけど、自分ではない気がして。もともと感受性は強くて周りに人がいると集中できなかったり、その場の空気に飲まれやすい体質。
そして、特定のことをできない、うまく人と会話して目を合わせられない。
でも薬を飲んでいるとぼんやりとして、感覚は鈍い気がする。敏感じゃないから、良いこともあるけれど小さな幸せを感じにくい気がする。
平凡な小さなことも嬉しいなぁと感じにくい。その代わり傷つきにくいし、ありがたいことに他人に期待せずに別にいいやと割り切ることもできるようになった。
だけど減薬して、本当の自分で今の仕事ができるかチャレンジしてみたい。
私の中のジェンガ
ひとつずつ自信は積み重ねてきた。たとえ薬の効果があったとしても。その自信を保ちつつ、薬を減薬することはまるで不安定なジェンガのようなもの。
薬で積み上がった私の自信であるいびつなジェンガを少しずつ抜いていく。崩れないように少しずつ。
もし、崩れたらそこが最終ラインなんだと認識できるし、ここが限界なんだと理解できるはず。
途中で挫折することもあるかもしれない。
だけど、きっとやらなきゃ変われない気がして。
素の自分に近づけた時、その方が自分のことが好きになれる。
明日を乗り越えよう
朝起きて、今日も仕事なんだなと思うと少し重たくなる身体と心、気持ちを奮い立たせる。
みんなどこかで頑張ってる。
形は違うけれど、努力して、生きてる。
毎日を乗り越えていく。そんな感覚。