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温故知新

この春は法要と長めの家族時間で熊本に帰って来ていた。育ちは名古屋だけど、生まれたのは熊本城のふもとなんですって説明するのわりと気に入ってて何回でも言いたくなってしまう。お城のすぐ下で生まれたんです、わたし。ふふ

水前寺公園 桜の広場は満開でした
熊本銘菓 お菓子の香梅「十六夜」

初めて水前寺公園に来たのがちょうど一年前に祖父を見送る頃だったのと(何度も熊本に来ていたのにほとんど観光したことがなかった)、祖父が最期の時間を過ごした住まいが水前寺公園近辺だったこともあり、ここに来るとなんとなく祖父に会いに来た気持ちになる。
もっとも、せっかちだった祖父とゆっくり公園を散歩するなんてことは全くなかったのだけれども。

今回は母方の祖父の一周忌、そして曽祖父と曽祖母の弔い上げ。昨年、祖父の葬儀でみんなが駆けつけたとき、それぞれ遠くに住んでいるはずの従兄弟や伯父伯母たちとの思い出がこんなにもたくさんあるのは、実はこれまでの冠婚葬祭や年末年始の帰省、要は決められたタイミングで都度きちんと集まる時間があったからなのかもしれないと気付く。
法要、故人を偲ぶという宗教儀式的な役割だけではなくて、残された人たちで力を合わせてやってくんだよってのを集まりを通して認識させていく装置にもなっているんだね。そしてやはり何事も食事を共にすることが精神的な繋がりを構築するファクターのひとつになるみたい。みんなの中心にいた祖父はもう眠りについてしまってとても寂しいけれど、わたしたちきっと大丈夫。次の世代でがんばっていこう。

あれもこれもシキタリ通りにやりたがる親、家族制度、ひいてはあらゆるお作法、伝統、型、決まりごとにぐったり疲れてた時期もあったけれど、最近は故きを温ねて新しきを知るような機会も多々ある。
やはり先人の教えや決まりごとにも意味があるのね〜と気持ちよく受け入れられるようになったし、わたしもようやく大人になりつつあるのでは?

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