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オマージュと模倣、唯一無二の存在であるということ

最近、自己のuniquenessについて考えることが多々あり、どう在れば「わたし」が最大限に本質を発揮できるのか試行錯誤の日々が続く。

メモ書きのままずうっとほったらかしていた、半年ほど前に観てきた「ル・コルビジェによるチャンディーガルの家具と前川國男による紀伊国屋書店の家具から、1945年前後の日本のデザイン史を探る展覧会」の備忘録。
静かなワンルームのギャラリーに入ると、展示品であるコルビジェが当時の首相ジャワハル・ネルーのためにデザインした机に座るよう案内され(いいの??展示品なのに???)、さらにそこそこ文量のある冊子が目の前に置かれて「まずは最初の5分でこれを読んでください」と言われる。あまりの唐突さにテンションが上がり始めますね。これはゼミですか?(好きです)


しばらくするとガイドのおねえさんが再び現れる。次の部屋に案内されたりでもするのだろうかと思いきや、この狭い部屋の中で、目の前に展示されているプロダクトに関する歴史および研究の発端となる問いについて、彼女は怒涛の勢いで「ガイド」を繰り広げた。予約枠の1時間は一瞬で溶ける。入室時に感じた「家具一セットと数点の書物展示だけで鑑賞を楽しめるのだろうか…」なんて不安を吹き飛ばす、ハイカロリーな体験型展覧会にただただ圧倒されるばかりだった。

戦後、前川國男が手掛けた「戦争で崩壊した東京の焦土から飛翔する不死鳥」こと新宿の紀伊国屋書店。そこで利用されていたテーブルに既視感を抱いた研究者たちの気付きから、作品の模倣とオマージュという観点で本展覧会の問いが展開される。近年見られる、コルビジェやジャンヌレの名を軽率に語ったレプリカや贋作を「歴史への敬意なき模倣」として強く批判し、ブームとして消費するものではなく、文化と思想を受け継ぐ作品としてこの展示を観てほしいと、力強く、しかし懇切丁寧に説明を受けた。

一緒に行った友人とふたりで「自分らも院生のとき、こういう感じで自分の研究領域をマシンガントークしてたよね〜」なんて胸を熱くして振り返ったり。
資本主義的な概念から完全に独立した場所で、こうやってとにかくワクワクを我慢できなくて問いを追究している人の空気に触れるとよくないですね。どんなときもふとしたきっかけでアカデミアへの郷愁にも似た憧れの気持ち、いつか自分も戻るかもしれないみたいな一抹の希望が湧き起こってしまうのでほんとうにちょっとしたトリガーで辞表を書いてしまいそうで困る。

意匠とオマージュ、模倣、文化的もしくは社会的背景が知られないまま消費されてしまうこと。

歴史や文化というのは、確固たる姿で崇高な出立ちをしているようでその実、常に外部からの表象に影響を受け続ける、時代に消費されゆくうねりそのものを表す概念だと思っている。元の意匠やオリジナルに向けた敬意の念は持って然るべきだと理解はしながらも、何某かが純粋な姿を保ったまま「正当な」誰かの手によってのみ遺されるようなことが滅多に起こり得ないことも確かだ。
民族も文化も作品も思想も、発端の意思とは無関係にじわじわとうねりが広がってゆく。「正当な」語り手によって受け継がれることもあれば、「正当ではない」手段と媒体によって捻じ曲げられ、搾取され、本質を失うことがあるかもしれない。それを防ごうと働きかける今回のガイドをしてくれたおねえさんのような、熱意ある人が現れるかもしれない。それら一連のうねりを、未来への問題提起まで含めてたった一室にぎゅっと詰め込んだ今回の企画はまさに「1945年前後の日本のデザイン史」そのものだった。時に模倣し、模倣され、外的要因から影響を受けながらも本質を探していく試みは、自己のアイデンティティ確立の過程とよく似ている。

ところで、ITZYのWANNABEとかいうスーパー名曲がある。もしかしてわたしってば最強では…?と、自己肯定感が爆上がりする素晴らしい作品なので全員MVを観てきてほしい。
わたしは早く「わたし」になりたいと、もう10年くらい言い続けている気がする。自己の認識する、そして受容する自分の姿はいつだってうねり続けていて、少し前までイメージしてた自分らしさや昔から大切にしてきた価値観は日々を重ねるごとに変化を遂げ、寄り道をするたびに経験値が積み重なり、さらに「わたし」が濃く、深くなっていく。カラーパレットに色彩が増えていくような感覚にも似ていて、この組み合わせで色を纏っていることが自分にとって自分が唯一無二であることの証明のような感じ。

できる限り典型的な像からは遠いところへ走り抜けて、変化のうねりを自己のuniquenessそのものだと受け入れ自在に扱えるようになったとき、また一歩最強なおねえさんに近付く気がしている。つよくてやさしい、最強な「わたし」に早く会いたい。

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