日露戦争の「あの風刺画」(火中の栗)の出典を探してみたら……
タイトルに用いた画像、日本人なら教科書などで一度は見たことのある風刺画なのではないかと思います。
(正確にはトレース画の形で。後述。)
この絵はしばしば「ビゴーの絵」と勘違いされることがあるようなのですが、それは正しくありません。
この絵の作者はヨハン・ブラーケンシーク(Johan Braakensiek)です。
(ビゴーの同趣向の絵については、もし余力があれば「次回」に書きます。)
→ 書きました! コチラを参照。
さて、今回の話は、この絵を出典元で直々に読めないかと思って試してみたけれど、今ひとつうまくいかなかった、というネタです(^_^;)。
・この先は、メモ書き風に書いていきます。
・日露戦争の風刺画として有名な「火中の栗」の絵。
これは1903年(明治36年)10月13日づけの「中央新聞」に下のトレース画が掲載されたことで、日本において有名になったものらしい(私自身は同紙を確認していません)。
・元絵を描いたのは、上にも書いたように、ヨハン・ブラーケンシーク(Johan Braakensiek)。
・「中央新聞」のトレース画中にはちゃんと「アムステルダーメル転載」と断り書きが入っている。
・もっとも、中央新聞は直接「アムステルダーメル」誌にあたったのではなく、それを転載した「評論の評論」(Review of Reviews)誌から拾ったのではないかとする推測もある(それが正しいなら、転載の転載)。
《ここまでの話の参考記事》
【インタビュー 大阪大学文学研究科 橋本順光教授 : 風刺漫画から見る、メディアとの距離感】
(pdf資料のダウンロード先リンク↓)
《話を続けて》
・「アムステルダーメル」誌とは、現在も続く"De Groene Amsterdammer" かと思われる。(1925年までの誌名「De Amsterdammer」)
・同誌は古いバックナンバーをネット公開している。
・いくつかの理由から(後述)、件の風刺画が同誌に掲載されたのは、1903年7月12日号だと思われる。
・しかし、上記のアーカイブで当該号を見る限り、当該の絵は見つからない(@_@)。
念のため、他の号も調べてみたが、やはり見あたらない。
《ここで話が頓挫してしまうのです》
・考えられる理由……(可能性/推測)
《以下、掲載が同誌の1903年7月12日号だと考えた理由について》
・そもそも、当該図の欄外に「BIJVOEGSEL van de Amsterdammer, Weekblad voor Nederland van 12 Juli 1903」と記載されている。これを訳せば 《1903年7月12日 "De Amsterdammer, Weekblad voor Nederland" 付録》 といったところであろう。
(誌名の記載が、アーカイブで見られるものと全く同じ。Juli が英語の July に当たることは説明不要かと。)
(参考サイト)
・今回の確認中に次のようなページを見つけたが、ここにある画像はなかなかの高品位で、上記の文章も十分に読みとれる。
(念のためもう一つ)
次のサイトを「De Amsterdammer 1903」「Braakensiek 1903」などと検索すると、当該の絵もヒットする。
そこでのキャプションは 《Bijvoegsel "Amsterdammer" (serie): (12-7) De mogendheden en Mantschoerije》。
ここで、(12-7)という表記は、他のイラストの例から推すと、7月12日号の意味と見られる。
・「De Groene Amsterdammer」のアーカイブで、他の号にもブラーケンシークの絵がいろいろ載っており、雑誌違いという印象は感じられない。
《ここで力尽きました!》
あとは、若干の解説、その他。
(口調を戻しまして。)
元の絵のタイトルとキャプションを一応読み解いてみます(訳は機械翻訳なので、不正確かもしれません)。
タイトル:「De Mogendheden en Mantschoerye」(列強と満洲)
キャプション:「JOHN BULL (tot den Japanner): Toe kereltje, haal jij nu die kastanjes eens voor ons uit het vuur.... anders eet die Kozak ze allemaal op.」
(ジョン・ブル[日本人に語って]:なあ少年、火の中からあの栗を我々のために取ってきなさい。でないと、あのコサックが全部食べてしまうだろうから。)
「De Groene Amsterdammer」誌のバックナンバーから、ブラーケンシークの絵が載っているページをいくつかご紹介。
↑上のページの風刺画では、右下の絵も割と有名なように思いますが、これは「フィガロ」紙からの転載のようです。
なお、次の絵(1903年6月14日号)に関して、
・欄外に「BIJVOEGSEL」とあるけれど、このようにアーカイブに入っていること
・先ほどの「 https://www.europeana.eu/ 」を「De Amsterdammer 1903」で検索すると出てくる、次の絵と同じものであること(と、キャプションの「掲載号の記載」と思われる数字)
……に注目したいと思いました。
【追記】
「火中の栗を拾う」という格言自体は、ラ・フォンテーヌの寓話「猿と猫」が典拠となっているのだそうです。
参考のため、「デジコレ」から当該の話へのリンクを貼っておきます。ごくごく短い話ですので、これも是非お読みになると良いかと(要アカウント)。
(次回に続く)