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谷崎潤一郎『鍵』 Vol.17 妻の日記:2月19日(朗読用)1875文字

#谷崎潤一郎 『鍵』Vol.17
妻の日記:2月19日
タグ #NTR朗読RTA_鍵
企画 @NemureruMami

※朗読した音声は、原作の日記の日付と同じ【2月19日以降】にご利用のプラットフォームに投稿して頂き、投稿先のリンクをXにポストして下さい。

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 二月十九日。

 ………敏子の心理状態が私には掴めない。
 彼女は母を愛しているようでもあり、憎んでいるようでもある。
 だが少くとも、彼女が父を憎んでいることは間違いない。
 彼女は父母の閨房(けいぼう)関係を誤解し、生来淫蕩な体質の持主であるのは父であって、母ではないと思っているらしい。
 母は生れつき繊弱(せんじゃく)なたちで、過度の房事(ぼうじ)には堪えられないのに、父が無理やりに云うことを聴かせ、常軌を逸した、よほど不思議な、アクドイ遊戯に耽(ふけ)るので、心にもなく母はそれに引きずられているのだと思っているらしい。
(ほんとうを云うと、私が彼女にそう思わせるように仕向けたのである)

 昨日彼女は最後の荷物を取りに来て寝室へ挨拶に見えた時に、
「ママはパパに殺されるわよ」
とたった一言警告を発して行った。
 私同様沈黙主義の彼女にしては珍しいことだ。
 彼女は私の胸部疾患が、こんなことから悪化して本物になりはしないかを、ひそかに心配しているらしくもあるのだが、そうしてそれゆえに父を憎んでいるらしいのだが、でもその警告の云い方が妙に私には意地の悪い、毒と嘲(あざけ)りを含んだ語のように聞えた。
 娘の身として母を案じる暖かい気持から云っているようには受け取れなかった。

 彼女の心の奥底には、自分の方が母より二十年も若いにかかわらず、容貌姿態の点において、自分が母に劣っているというコンプレックスがあるのではないか。
 彼女は最初から木村さんは嫌いだと云っていたが、母―――ジェームス・スチュアート―――木村さん―――という風に気を廻して、ことさら彼を嫌っているらしく装っているので、本心は反対なのではないか。そして内々私に敵意を抱(いだ)きつつあるのではないか。

 ………私はできるだけ家を空けないことにしているけれども、いつどんな事情で外出の必要に迫られることがあるかも知れず、夫も授業中であるべき時刻に突然帰宅することがないとも限らず、いかに日記帳を処置しておくべきかについて種々考えた。
 隠しても無駄であるとすれば、私の留守に夫が果(はた)してあの内容を盗み読みしたかどうかを、せめて確かめる方法だけは講じておきたい。
 せめて私は、夫が内証(ないしょ)で私の日記帳に眼を通したかどうかを、知るだけは知りたい。

 私は何か日記帳に目印をつけておく。
 夫が内証で中を覗いたか否かは目印を見れば分るようにしておく。
 その目印は私にだけ分って、彼には分らないようなものであれば一層よい。
 ―――いや、彼にも分るようなものの方がかえってよいのではあるまいか。
 彼が、自分が盗み読みしていることを妻に知られたと悟れば、以後盗み読みすることを慎しむ結果になりはしまいか。
(どうだか怪しいものだけれども)

 ―――が、いずれにしてもそういう目印を考えることは容易でない。
 一回は成功するかも知れないが、たびたび同じ方法を用いれば裏を掻かれる恐れがある。

 たとえば爪楊枝つまようじを何ページ目かに挟はさんでおいて、開けるとパラリと落ちるようにしておく。
 一回は巧うまく行くとして、二回目からは、夫はその爪楊枝を落さないように取り扱い、それが何ページ目に挟んであるかを勘定して、もとの通りに戻しておくであろう。
(夫はそういう点は実に陰険なのである)
そうかといって一回々々新しい方法を案出することは不可能に近い。

 私はいろいろ考えて、試みにスコッチ印のセロファンテープの六〇〇番を適当の長さ(測ってみたら五センチ三ミリあった)に切り、帳面の表紙の或る一箇所を選んで、表と裏とをそのテープで封じてみた。
(その位置は天から八センチ二ミリ、地から七センチ五ミリの所であったが、テープの長さや貼る位置はそのつど少しずつ変える必要がある)
 こうすると、中を読むためにはテープを一度剥はがさなければならない。
 一度剥がして、また新しいテープを同じ長さに切り、同じ位置に正確に貼っておくということは、理論上できなくはないにしても、実際にはとても面倒で煩瑣(はんさ)で、できるものではない。

 それにテープを剥がし取る時に、どんなに注意深くしても周囲の表紙の表面に擦過(さっか)した痕(あと)を残すことになる。
 好都合にも私の日記帳の表紙は、ももけやすい奉書(ほうしょ)に胡粉(ごふん)を塗ったような紙なので、テープを剥がすと、それと一緒に周囲の表面がところどころ二三ミリぐらい剥ぎ取られて行く。
 この方法を用いると、夫は絶対に、痕跡(こんせき)を残すことなく内容を読むことはできない。………

奥様様、朗読お疲れさまでした。
【次回】Vol.18 夫の日記:2月24日
こちらに投稿予定です。

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原文(引用元)青空文庫
初出「中央公論」中央公論社 1956(昭和31)年1月、5月~12月


【朗読用書き下し文 ポリシー】

当作品は、夫の日記の部分がカタカナで書かれている為、全体的にリライトさせて頂きました。
①青空文庫を原文とする
②AIは使用しない
③難読漢字は残し、ふりがなを加える
④注釈入りの漢字は、適宜、現代漢字や平仮名に置き換える
⑤朗読時に読みやすいよう、適宜、改行、段落、読点、句読点、平仮名を加える。


【企画】眠れる森🌙まみ https://twitter.com/NemureruMami

谷崎潤一郎『鍵』Vol. 夫妻の日記:月日(朗読用)文字

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