【風俗街で育って】 天国の映画館 【3度目の夢】
私の天国は、多分、そこなのだと思う。
私が育った、昭和に取り残されたような風俗街に、昼は旧作、夜は成人映画を上映するような、小さな映画館があった。
普通の家庭なら、絶対に子供を近寄らせないというか、そもそも『曲がってはいけない角』を曲がった先にある映画館だったので、私のような放置児でもなければ、そんな所に入ることもなかったと思う。
託児所化していた嬢の待機所が落ち着かないと、近くの駐車場に停めてある、“める姉”のお義父さんの車に避難していた。
そこは当時の私の聖域で、今は愛車。白地に黒のラインが入ったカラーリングが、遠目にはパトカーに似ていたから、危険な街の駐車場で子供が一人で過ごしていても、トラブルに巻き込まれなかったのだと思う。私を守ってくれる車。今も勝手に、そう思っている。
その中で宿題をしたり、本を読んだりしていると、時々、窓を叩いてくれるお姉さんがいた。
「映画いこ」
私の中で『女性』とはその人で、どこかのキャバクラの、多分、人気の嬢だったのだと思う。
背が高くて、長くて黒い綺麗な髪をしていて、いつも白い服を着て、いい香りがして、どこか知的で、時々、身なりのいい初老の男性に、労わるように寄り添っていた。
彼女は華やかな人だったけど、時々群れから離れるように、私を誘って映画館に行く時があった。
何かを約束したわけではないけど、それは誰にも、める姉にも言わない、私達ふたりの、秘密の楽しみだったのだと思う。
スーパーで好きなだけお菓子を買わせてくれる──といっても、3つ選ぶのが精々な私に、オススメのお菓子を、ニコニコしながら、カゴいっぱいに入れてくれた。
「みんなには内緒。車に置いときなね」
託児所で、私がいつも、そのての戦争に負けているのを見ていたのだと思う。
持ち込みだのなんだののルールなんかないミニシアターくずれのそこは、愛想のないおばあさんが支配人で、でも、私達が行くと、いつも大きなクッションを渡してくれた。
「椅子、汚れてるから」
その意味を知った頃には、お姉さんはもういなくて、その映画館もなくなっていた。
それでも時々、そこに行ける時があって、今朝がその三回目だった。
病院で処方され、昨日の夜から飲み始めた薬を飲んで、5分ほどした頃。
なんともいえない吐き気と眩暈がして、以前アナフィラキシーショックを起こした時と同様の不快感があって、職場に連絡をした。今朝のポストはこのタイミング。
救急車を呼ぶか迷いながら、倒れるならここでと思って、玄関の鍵を開けて、スマホの充電を確認した。
これ、やばいやつだな、と思ったところまでは覚えている。
気がつくと、懐かしい映画館の座席に座っていた。
◆三度目の夢
自分が子供に戻っているのか、大人のままなのかはわからない。
お決まりの席、前から5列目の中央。
おばあさんが貸してくれたクタクタのクッションに座っていて、輸入品のカラフルなグミと、あのお姉さんの香りがする。
視界にはまばらな客の頭と、小さなスクリーン。
ずっと観たいと思っている、サメ映画やユニコーンのアニメの予告が流れている。
「ねえ、これ、ここでもやる?」
お姉さんの顔を見たいのに、いつも見れない。ただ、シーッと、指を立てているのはわかる。
前と同じ。夢だ。ああ、三回目だ。
「始まるよ」
そうだ、映画が始まる。
私は、そう思ってスクリーンに向き直る。
夢の中で、その映画を観るのは三回目。
タイトルはわからない。今までに観た、色々な映画の要素から創られて、1本になっている。全体的に青みがかった、黒服の男ばかりの邦画。
主人公(佐◯健さん)の両親が、ヤクザの銃撃戦に巻き込まれて死んでしまう。
病院で会った北◯武さん演じる組長に拾われて、嶋◯久作さんや、寺◯進さん、遠◯憲一さん、浅◯忠信さんといった、組の構成員に可愛がられて育つ。
でも、自分が両親を亡くした銃撃戦を指示したのが北◯である事を、敵対する組織の幹部から聞かされて、大切な情報を、その幹部に渡してしまう。
そのせいで北◯の組は窮地に立たされるけど、誰も主人公を怒らない。彼の両親を巻き込んだ報いだと、誰もが笑って彼を逃した。このくだりで、ほとんどの組員が死んでしまう。
お金やスーツ、時計や車、なぜかSwitchなど、それぞれから渡された大切な物を持って、逃げる主人公。意気投合した嬢を拾ってホテル暮らしをしながら豪遊するけど、気は晴れない。
悪夢にうなされる彼に、嬢が、組があった所を見に行こうと言う。
ふたりで上京すると、事務所があった雑居ビルは、抗争の痕も生々しく規制線が張られて封鎖されていた。
子供の頃によく使った裏口から入って組長の部屋に向かうと、弾痕のある荒れた部屋に、北◯がいつも撫でていたシーサーの置物が転がっていた。尻尾が割れていて、中から鍵が出てくる。
馴染みの錠前師に見せると、それは空港のロッカーの鍵で、開けてみると、中には森◯ミルクキャラメルの箱が入っている。主人公が好きで、北◯がよくくれた物だった。
中には、Switchのゲームカード。嬢のSwitchでは起動しないけど、逃げる時にもらったSwitchでなら起動する。
ゲームをクリアすると、国外のものと思われる電話番号が画面に表示された。ふたりで調べると、バハマ。
電話をかけると、コンシェルジュらしき女性が、お話は伺っています、チケットを手配しますと言う。
案内通りにバハマに向かい、白い砂浜(多分ケーブルビーチ)を歩いていると、遠くに三人の人影が見える。(多分、北◯、嶋◯、寺◯)
主人公の走り出す足、彼の肩越しに笑顔で帽子を押さえる嬢、彼が落としたバッグが波打ち際で濡れるのが映ったところで、エンドロールになった。
セリフもカメラ割りも書き起こせる。何分、観るのは三回目。
夢なので、当然たいした話ではなく、ご都合主義とハッピーエンドな、ありえないヤクザ映画。
でも、全員が大好きな俳優さんで、他人から見たら眉を顰めるような街の、思い出の景色がたくさん出てきて。
エンドロールの後にお姉さんを見るけど、また、顔は見えない。
「帰ろっか」
と言われて立ち上がり、クッションを支配人のおばあさんに返す。
「ありがとう、また来るね」
「しばらくいいよ」
いつもと同じ返事だった。
あの支配人のおばあさんは、今、どこにいるんだろう。いつか、「もういいよ」と、言ってもらえるのだろうか。
そう思ったところで、目が覚めた。
◆夢のあと
あのお姉さんが、どこに行ったのかはわからない。ただ、最後に会った日のことは覚えている。
「ブックオフいこ」
映画館じゃなくて?と聞くと、今日は特別、と言われた。
ブックオフの中古のDVDのコーナーで、スーパーでお菓子を買う時のように、好きな映画を選んでも3本が精々な私に、お姉さんはその映画の好きなところを言いながら、カゴにどんどんDVDを入れていった。
「カクテル、吹き替えないけど観て。頑張ろうって思えて好き。ショーシャンクもね、長いけど絶対観て。ノッキン・オン・ヘブンズドア、意味わかるかなあ。わかると思うんだ。観て。グラディエーターはね、誇りの物語。観て。ジョーブラックによろしく、私、恋愛ものはこれしか好きじゃない。観て。プラダを着た悪魔、ねえ、かっこいい女になって。キンキー・ブーツは実話。実話もいっぱい観て」
カゴがいっぱいになると、店員のお兄さんに、大きなダンボール箱を持ってこさせた。
「もうめんどくさい。このへんの、全部入れてください」
映画のDVDをたくさん入れた箱を、ブックオフで借りた台車に乗せて、駐車場に戻った。
トランクにDVDを入れ終わると、
「私行くね」
と言われた。ああ、いなくなるんだな、と思った。
そう、人って突然いなくなる。その時はもう、引き止めることの意味のなさを、私は知っていた。
「やばいと思ったらさ」
泣いて抱きしめたり、できない約束をしたり、そういうタイプの人ではなかった。ただ、
「やばいと思ったら、とりあえず映画を観て。体がやばいなら忘れられる。心がやばいなら逃げられる。あんたはお芝居が好きだけど、映画も台本からできてるからね。うまく逃げて、自分を守るんだよ」
じゃあね、と言って、背中を向けられた。
何度も映画館に誘われた。たくさんの映画を知っていた。映画の数だけ、やばいと思った時があったんだ。
あの時お姉さんを呼んで振り返らせたら、泣いていたのかなと思う。
ありがとうと、言えたか言えてないかを覚えていない。
今朝、やばいと思いながら意識をなくした。
だから映画の夢を見た。
スピリチュアルなことを信じない私は、そういう暗示だと思うだけだけど、
また、生かしてもらった。
私はまだ、「しばらくいい」らしい。