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谷崎潤一郎『鍵』Vol.4 妻の日記:1月8日(朗読用)1270文字

谷崎潤一郎『鍵』Vol.4 妻の日記
1月8日(朗読用)1270文字

 こちらは #NTR朗読RTA_鍵 イベントの為にリライトしたものです。
 朗読した音声は、原作の日記の日付と同じ【1月8日以降】にご利用のプラットフォームに投稿して頂き、以下を添付の上、投稿先のリンクをXにポストして下さい。

#NTR朗読RTA_鍵  1月の音声投稿日

一月八日。

 昨夜は私も酔ったけれども、夫は一層酔っていた。
 夫は近頃あまり強要したことのなかった眼瞼の上の接吻を、してくれるようにとしきりに迫った。
 私もブランデーの加減で少し常軌を逸していたので、フラフラと要求に応じた。
 それはよいが、接吻するついでに、あの見てはならないものを、――彼の眼鏡を外した顔を、ついウッカリして見てしまった。

 私はいつも眼瞼に接吻を与える時は、自分も眼をつぶるようにしているのだが、昨夜は途中で眼を開けてしまった。
 あのアルミニュームのような皮膚が、キネマスコープで大映しにして見るように巨大に私の眼の前に立ち塞がった。
 私はゾウッと身慄(みぶる)いをした。
 そして自分の顔が急に青ざめたのを感じた。
 でもよいあんばいに、夫は眼鏡をすぐにかけた、例によって私の手足を事細かに眺めるために。

 ………私は黙って枕もとのスタンドを消した。
 夫は手を伸ばしてスイッチをひねり返そうとしたが、私はスタンドを遠くの方へ押しやった。
「おい、後生だ、もう一度見せてくれ。後生お願い。………」
と、夫は暗い中でスタンドを探ったが、見つからないので諦めてしまった。

 ………久しぶりの長い抱擁(ほうよう)。………
 私は夫を半分は激しく嫌い、半分は激しく愛している。
 私は夫とほんとうは性が合わないのだけれども、だからといって他の人を愛する気にはなれない。
 私には古い貞操観念がこびり着いているので、それに背くことは生れつきできない。
 私は夫のあの執拗な、あの変態的な愛撫の仕方にはホトホト当惑するけれども、そういっても彼が熱狂的に私を愛していてくれることは明らかなので、それに対して何とか私も報いるところがなければ済まないと思う。

 あゝ、それにつけても、彼にもう少し昔のような体力があってくれたらば、………一体どうして彼はあんなにあの方面の精力が減退したのであろうか。
 ………彼に云わせると、それは私があまり淫蕩に過ぎるので、自分もそれにつり込まれて節度を失った結果である、女はその点不死身だけれども、男は頭を使うので、ああいうことがじきに体にこたえるのだという。
 そう云われると恥かしいが、しかし私の淫蕩は体質的のものなので、自分でもいかんともすることができないことは、夫も察してくれるであろう。
 夫が真に私を愛しているのならば、やはり何とかして私を喜ばしてくれなければいけない。

 ただくれぐれも知っておいて貰いたいのは、あの不必要な悪ふざけだけは我慢がならないということ、私にとってあんな遊びは何の足しにもならないばかりか、かえって気分を損なうばかりだということ、私は本来は、どこまでも昔風に、暗い奥深い閨(ねや)の中に垂たれ籠めて、分厚い褥(しとね)に身を埋(うず)めて、夫の顔も自分の顔も分らないようにして、ひっそりと事を行いたいのだということ、である。

 夫婦の趣味がこの点でひどく食い違っているのはこの上もない不幸であるが、お互いに何か妥協点を見出す工夫はないものだろうか。………

奥様、朗読お疲れさまでした。
【次回】Vol.5 夫の日記:1月13日
12月13日 こちらに投稿予定です。


 こちらは当note管理者・甘沼が主催する、朗読イベント用の書き下し文です。
 イベントご参加の方に向けて、青空文庫収蔵 谷崎潤一郎 作『鍵』を、読みやすくリライトさせて頂きました。
 エントリー不要、途中参加可、タグをつけるだけのフリーイベントですので、noteの皆様も、ぜひご参加ください。お待ちしております。

原文(引用元)青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/001383/files/56846_58899.html

初出「中央公論」中央公論社 1956(昭和31)年1月、5月~12月


【朗読用書き下し文 ポリシー】

 当作品は、夫の日記の部分がカタカナで書かれている為、全体的にリライトさせて頂きました。
①青空文庫を原文とする
②AIは使用しない
③難読漢字は残し、ふりがなを加える
④注釈入りの漢字は、適宜、現代漢字や平仮名に置き換える
⑤朗読時に読みやすいよう、適宜、改行、段落、読点、句読点、平仮名を加える。


【企画】眠れる森🌙まみ https://twitter.com/NemureruMami


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