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アルジャーノン 一人の青年とネズミの物語り

【アルジャーノン】歌詞の表現や文章の書き方、構成について徹底考察

  • アルジャーノンに花束を/アルジャーノン

  • 歌詞やPVからの考察


「アルジャーノンに花束を」をオマージュして書かれている「アルジャーノン」 歌詞や曲調、PVからもシリアスな雰囲気がしっかりと伝わってくる曲です。 TBS系ドラマ『夕暮れに、手をつなぐ』の主題歌としても使われており、ヨルシカの世界観がより一層世に広まったのではないでしょうか。
アルジャーノンについて僕自身の感じたことや歌詞の考察も含めて書き留めています。 この記事の最後にコメント欄を設置していますので、 記事を読んでくれているあなたの考えや考察もぜひ聞かせてください。 「いつかとても追いつけない人に出会うのだろうか。いつかとても超えられない壁に竦むのだろうか。いつか貴方もそれを諦めてしまうのだろうか」


アルジャーノンに花束を/アルジャーノン

ヨルシカの楽曲は文学作品をオマージュしている曲が多くあり、アルジャーノンもその一つです。

アルジャーノン/ダニエル・キイス作

知的障害を持つ32歳のチャーリィは、誰にでも優しく疑うことをしらない、大人でありながらも純粋な心を持つ青年。ある日動物実験により賢くなったハツカネズミ「アルジャーノン」に出会い、自分も賢くなりたいと脳手術を受けることに。そして突如超人的な知能を得たチャーリィは愛、憎しみ。。。人間の持つ様々な感情に出会う。
喜びや孤独を知り、この知能があるから幸せな未来が待っているわけではない。これまでの自分もこれから待っている未来も受け入れ、ありのままに生きていく。そんな葛藤を描いている作品です。
この文学に対してヨルシカの視点から命が吹き込まれると、どのように生まれ変わるのか、どんな思いが込められているのか。
早速考察をしていきます。


貴方はどうして僕に心をくれたんでしょう
貴方はどうして僕に目を描いたんだ
空より大きく 雲を流す風を呑み込んで
僕のまなこはまた夢を見ていた
裸足のままで

この曲はまず「貴方」への投げかけから物語が始まります。
貴方というのは主人公(チャーリィ)が知能を得る大きなきっかけになったネズミの「アルジャーノン」。これまで知能が低かったチャーリィは突如力を得たように様々な感情が芽生えてきます。
心というのは感情や葛藤。目を描いた。というのはこれまで見ることがなかったもの。人の醜い部分や嘘、これまでは何も気に掛けることのなかった小さな変化。。。アルジャーノンに出会い、手術を受け、知能を得ることで身体的にも精神的にも変化があった。
その葛藤の中主人公はかつて見た夢、かつての自分をもう一度その眼で見ようとします。裸足のまま。というのはありのままの自分。を示しています。
作者であるキイスが伝えたいありのままの自分というメッセージに沿っているようにも思えます。

貴方はゆっくりと変わっていく とても小さく
少しずつ膨らむパンを眺めるように
貴方はゆっくりと走っていく
長い迷路の先も恐れないままで

ここで主人公は自分の変化だけでなく「貴方」の変化にもくづくようになったことがわかります。
チャーリィは叔父の営むパン屋で働いていました。パンが膨らむ様子をいつも見ていた姿に沿ってパンという単語を使っているのだと思います。
貴方は少しずつ、でも確実に変化している。それはあのころ見ていたパンのように。
「アルジャーノンに花束を」の中でネズミのアルジャーノンは実験体。チャーリィは、迷路を迷いながらも恐れずに進んでいくアルジャーノンの勇ましさを感じています。

貴方はどうして僕に名前をくれたんでしょう
貴方はどうして僕に手を作ったんだ
海より大きく 砂を流す波も呑み込んで
小さな両手はまだ遠くを見てた
あくびを一つ

名前=アイデンティティ
主人公は自分という存在を意識するようになります。手を作ったというのは、何かを行うための手段やそのために必要な力を得たということ。
それでも、知能を得て成長していく自分はまだまだ先に行けるはず。と信じています。
「アルジャーノンに花束を」の中でチャーリィは知識の急上昇に対して感情や性格の成長はしておらず、純粋だった心はやがて自尊心が高まり妥協を知らず、自分よりも知能の低い他人を見下すようになってしまいます。
目の前にいる人やモノが見えないくらいに遠くを見ている。「あくびを一つ」というのは、ありのまま(裸足)でいた自分と対比して、他人を見下しているときのあくびという表現ではないかと思いました。

僕らはゆっくりと眠っていく
とても長く 頭の真ん中に育っていく大きな木の
根本をゆっくりと歩いていく
長い迷路の先を恐れないように

「アルジャーノンに花束を」では、チャーリィよりも先に手術を受けていたアルジャーノンに変化が起こります。急速な知能の上昇を得たアルジャーノンだがそれに感情、性格が着いてこれずに社会性が損なわれている。そして知能の上昇がピークを迎えたとき、その知能はやがて衰退していき、元よりも下降してしまう。ということがわかる。
ここでチャーリィは自分も同様の未来を辿っていくことに気付きます。
ゆっくりと眠っていく=ゆっくりと死に向かっていることに気付く。
頭の真ん中に育った木=変化が起こった後の記憶や経験
根本をゆっくりと歩いていく。長い迷路の先を恐れないように。というのはいくつもの枝分かれしている大きな木を、間違った道を辿らないよう、術前の優しくて純粋だったころの記憶をしっかりと手繰り寄せようとしている。裸足のままの自分の素晴らしさに気付けた瞬間です。

いつかとても追いつけない人に出会うのだろうか
いつかとても越えられない壁に竦むのだろうか
いつか貴方もそれを諦めてしまうのだろうか
ゆっくりと変わっていく

自分の知能が及ばない、自分を負かす人に出会ってしまう怖さ、迷わずに進んでいた迷路の壁に竦んでしまう時が来るのか、自分とアルジャーノンの未来に迫っていることへの恐れを感じています。
今まで恐れ知らずに走っていた僕たちもそれを諦めなければいけない日が来てしまう。そしてその時が近いのをひしひしと感じています。

僕らはゆっくりと忘れていく とても小さく
少しずつ崩れる塔を眺めるように
僕らはゆっくりと眠っていく
ゆっくりと眠っていく

やがて知能が低下し、これまでに得た様々なことを忘れていきます。
PVでは主人公が空を見上げながら何かを憂いているようにも見えます。これはかつての自分が積み上げた塔を見て絶頂の時を懐かしむようにも、それによって優しさを失ってしまっていたことを悔やんでいるようにも見えます。それでも足を止めることのない主人公の力強さと、それでいてどこか虚しさを感じます。

貴方はゆっくりと変わっていく とても小さく
あの木の真ん中に育っていく木陰のように
貴方はゆっくりと走っていく
長い迷路の先も恐れないままで
確かに迷いながら

PVではこのあたりから逆再生が始まります。
これは主人公が過去へ行く(退化していく)様を表現しています。 ゆっくりと、でも確実に退化していくアルジャーノンと主人公。木が育てばその分木陰が大きくなるように、急成長した代償をしっかりと受け入れている。
それでも僕たちは進むことを恐れない。 自身の行く末と、知的障がい者の苦しみを知り、最終的にチャーリィは自ら障害者収容施設へと向かいます。 そして正気を失ったままついには寿命で死んでしまったアルジャーノンの死を悼み、チャーリィのついている日誌を読んだ人物に向けて「どうかついでがあったらうらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそなえてやってください。」と最後に記した。

まとめ

愛情を知ることで本来持っていた愛情を失ってしまった主人公。
自分の人生を変える何かに出会い、そこで得たもの、失ったものを辿りながら、後悔をしながらもしっかりと進んでいく。
ありのままだった自分の大切さと、変化した後の自分も今のありのままである。ということ。それに気付ける素晴らしさを説いているように感じました。

いかがでしたか?
アルジャーノンについてのあなたの考えや思い出、この記事についての考えなど、皆さんの意見交換の場としてこのページを使っていただけたら幸いです。
また、アルジャーノンのオマージュ元となっている「アルジャーノンに花束を」もぜひ読んで、そのあとにまたアルジャーノンを聴いてもらいたいです。
ヨルシカの曲は、一度聴いてみて多くを感じることができ、歌詞の意味や表現の意図を考察することでさらに深くまで感じることができる。そんなところが大好きです。

最後までお読みいただきありがとうございました。
皆さんとこの場で出会えて、大好きなヨルシカについての考えを共有できたことをとてもうれしく思います!


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