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何者にもならなくていい。自分が何者であるのかを、思い出すだけでいい。
「何者かになれ」
そんなメッセージが流行した、Beforeコロナの頃。
私自身も「何者かになりたい。ならなければ。(でも、どうやって…??)」と、必死にもがいていた時期がありました。
SNSで発信しても上には上がいるし、辺りを見渡してみると 自分よりすごくてキラキラ(ギラギラ)した “何者か、にすでになっている人たち” がたくさんいるし、外側ばかりを見て “何者か” を目指したところできりがない。
何者かになることを目指すことで、自分が何者であるのかがわからなくなる。
そんなパラドックスの罠に陥ったりもしていました。
外側ばかり見て、他人と自分を比べてばかりいると、本当の自分が一体どこにいるのか・自分が一体誰なのかが わからなくなって “迷子” になっちゃうんですよね。
外側ばかり見て自分のことをちゃんと見てあげないと、「自分がこの広い世界の中で一体何が出来るのか」ってことがわからなくなる。
それで、「何者かにはなりたいけど、やりたいことがわかりませぇん🥺」って状態になるという。
「やりたいことはあるけれど、(自分よりすごい人がすでにいるから)自分がそれをやる意味を見いだせませぇん🥺」とかね。
で。
そんな時期も経験していく中で、ひとつわかったことがあったんです。
「何者かになれ」って言葉だけを聞くと、私たちは “今この瞬間の自分以外の何者か” を目指そうとしてしまうと思うんです。
それで、人はすーぐ自分の “外側に” 何かをプラスしようとする。
知識とか資格とか人脈とか。SNSで闇雲に発信を始めてみたり、ビジネス始めてみたり、ソレっぽい肩書きをくっつけてみたり、自分に何かを与えてくれそうなセミナーに通ってみたり。
でも、「何者かになる」ってそういう順番じゃない。
「何者かになりたい、ならなきゃ」という動機じゃ何者にもなれないし
そんな打算的な動機では、自分や人を本当に幸せにするようなミッション(ライフワーク)にだって出合えない。
今の自分に何かをプラスするから将来何者かになれるんじゃなくて、
今この瞬間の自分以外の何者にもならない覚悟のキマっちゃってる人が〝本当に自分の心が震える何か〟をするから、結果的に外側から見たときにその人が『何者か』に映るんだって、そう思ったんだ。
じゃあそれってどういうことなんですか、覚悟とか怖いんですけど一体何をしたらいいんですか、なんてことを、後半では掘り下げて書いていこうと思うのですが。
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