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心を開示すると、常識が塗り替えられる。

わたしたちが生きづらいと感じるとき。

それは、自分に合っていない常識や観念の中にいるときなのかもしれません。


SNSで自分の気持ちを開示しはじめて二年と少しの年月が経ちますが、そこで生まれた人との関わりのなかでわたしは “これまで自分の見ていた世界の狭さ” を知りました。

自分を閉じ込めていた “常識と信じていたもの” がいかに実態のないものであったのかということを思い知ったのです。

そしてこの世界には、自分と同じ言語を持った人たちがたくさんいることを知りました。



わたしが常識と信じていたもの、その最たるものが「自分を押し殺してでも人を不快にさせないように努めることが正解である」というもの。


そのほかにも、

「辛いときほど笑顔で大丈夫ですと言い、幸せなときは自慢にならように自分を卑下する」

「決められたレールから脱落したら人として終わり」

「我慢と服従と自己犠牲こそが美徳であり正義」

などなど。 書いてるだけで生命力が萎えていくのでやめます。



幸せなことに、今わたしの生活圏内にはそのようなことを言う人は一人もいません。

その代わり、わたしの周りの人たちの間では「自分の心に従う」ということがある意味常識というか共通言語となっているように感じます。


もちろん人と関わって生きていく以上、自分の心を尊重しようと思っていてもいつも理想通り上手くできるとは限りません。

それでも「自分を殺さなくていいんだ」っていう認識のある人が自分の周りにいてくれるようになったおかげで、わたしの日常・人生はとても優しいものとなりました。


※逆にそうではない考えをお持ちのかたとは話しているととても苦しくなってしまうので出来るだけ距離を取ることを心掛けます。命に関わるので必死。



わたしはSNSをはじめた頃、「一ミリずつでも自分の周りに“優しく生きやすい世界”を構築していきたい」ということを考えておりました。

自分の住む怖くて厳しい世界を、少しずつでも優しい世界に塗り替えたかったのです。


それがどうやって形になっていくのか、その頃(二年前)のわたしには全く想像もつきませんでした。

ルートはわからない。でも、そういう世界にいつか行き着くのだろうという結果だけは知っていたのです。

自分の住む世界をゼロから自分でデザインしている人たちがどうやらいるらしいということだけは知っていたため、当時からゴール設定だけは明確でした。


今もまだ途上ですが、現時点でその頃の自分に言えるのは、

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自分の中の創造主である『内なる自分』を再発見するためのnoteの玉手箱です。 自分を認め受容するために「足すべきもの」など、本来何もない…

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