【試し行為の過去を超えて】私の愛の再定義【愛は「意志」】
深夜三時に「私のこと本当に好きなんだったら、
今から会いに来てよ!」とか言っていた当時、
そういえば、付き合っていた彼氏に「メンヘラ」と言われた。
いま改めてメンヘラを調べてみたけど、
うん。大体そんな感じだったと思う。
あの頃、私は「愛」や「信頼」というものを信じていなかった。
いろいろ綺麗事言ったって最終的には、人が人と共に生きてるのは「等価交換」だからでしょ?と疑わなかった。
それでも私が結婚して家族との愛を信頼できるようになったのは、間違いなく旦那氏のおかげであるが、
この歌詞に触れたことで、今更ながら彼の深い愛情にハッと気付き、点と点が線になったような感覚を得たのだった。
そもそも、なぜ私は感情が不安定だったのか?
それは「受け止めてもらえるかどうか」に自信がなかったからだ。
前述した、「深夜三時に会いに来い」という言葉だって、本質を辿れば愛だったのだ。
「あなたを愛してるから、会いたい」たった、それだけのことだったのに、この愛を「ありがとう」と受け止めてもらえる自信がなかったのだ。
その自信のなさが愛を歪ませ、「深夜三時に会いに来い」に変わってしまったわけだ。
この歌詞では、「怖い」ことを認めているが、そのうえでこうとも言っている。
この歌詞には、強い「意志」を感じた。
”気持ちを言葉にするのは怖い”けれど
太宰治は、
”少なくとも恋愛は、チャンスではないと思う。私はそれを、意志だと思う”という言葉を『チャンス』という作品のなかに残している。
そして、尾形真理子さん。彼女はLUMINEのキャッチコピーで
”恋は奇跡、愛は意思”といった。
私の中で、あの時の彼の行動や言動は「点」であった。そして、このキャッチコピーやフレーズ、歌詞も点だった。
それが今になって、ひとつひとつが繋がっていき「線」となった。
旦那氏は当時、「この人との関係を続けていきたい」という意志をもって、寄り添ってくれていたのだと気づいた。
つまり、私の反応がどうであろうが「愛する」と決めていたのだと思う。
それだけの勇気や信念を持って、関わってくれていたのか。
愛とは、意志。
意志の強さとは、自分の信念に対して揺るぎなく行動し続け、困難や誘惑に屈しない、そういう強さのことを言う。
そんなパワフルさが、この歌詞に込められていると、千の夜をこえて、ようやくピンときたのだった。
きっとこんなふうに、私にはまだ気づくことが出来ていない誰かの優しさとか、愛とか、勇気とか。そういう感情がたくさんあるんだと思う。
たくさんの点をつなげ、新たな感情に気づけるようになると、
それが「感動」につながる。
死んだときに持ち帰れるのは、「金」でも「名誉」でもなく
「感動」だけだと聴いたことがある。
どこに持ち帰るのかはわからないけれど
たくさんの「感動」を容れられるような器の大きい人間になりたいなぁ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?