沈黙がこわい。
ユーミンの初期の名曲、「14番目の月」に、下記の一節がある。
気軽なジョークが とぎれないようにしてね
沈黙がこわい
うん、わかりみが深い。
やはりユーミンは言語化の天才だ。
とまぁ、ユーミンの凄さについてはまた今度語るとして、ここでは「沈黙がこわい」について少し考えてみたい。
これ、一部で「沈黙恐怖症」って言われているらしい。
さすがなんでも概念化されてしまう時代だ。
正直、自分のことを「全自動話題投下マシーン」だと思っているのだけど、その動機はだいたい、「沈黙がこわい」から。
ひとが真剣に何かをこなしていて沈黙が続いているようなとき、
わたし邪魔だよね、そうだよね、ごめんね
とか思ってしまって、そっとその場を後にしてしまいがちなのだ。
で、後にしたらしたで、自分のめんどくささに辟易する。
静かなのが苦手ってわけでもないんだけど、ひとがいるのに「黙る」という空間がめちゃくちゃ苦手なのかもしれない。
だから昔は図書館が苦手でしかたなかったし、いまもその後遺症的なのはある。
なんでかはわからないけど、「沈黙=よくないこと」っていう規準が全身に内面化されてしまってるようなのだ。
とはいえ、空気を読まずに口を開くほどわたしは図太くないので、そこはさすがにわきまえているつもりだ。
だけど、怒りの感情が込み上げてきたときは、だいたい静かになる。
怒りにただ身を任せることは「敗北」だと思っているわたしにとってそれは、感情を咀嚼するのに必要な時間。
これもまたこんど詳しく書くけど、わたしは怒りをそのままさらけ出すことを極度に嫌っている。
怒りに任せただけのことばほど空虚なものはないとさえ思う。
ところが、どうやらその沈黙のあいだ、わたしはめちゃくちゃ殺気を放っているらしい。
要するにすごい怖いらしい。
あれぇ、怖がらせるつもりはないんですけども…。これじゃまるで逆効果じゃん…。
ということで、わたしが黙るときは、眠いときが6割、なにか考えてるときが3割、怒ってるときが1割ぐらい。
それ以外は基本的にしゃべりたい。
とくに最近は、知り合ったばかりの「同期」のひとたちがわりと人見知りなので、少しさみしい。
さみしいので、ズケズケといきます。
わたしの心の中の「ディスタンス」とやらは、きょうもバグっている。