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実家に行きました

昨日は実家へ1人暮らしの母のご機嫌伺いに行きました。
母は要介護3にはなりましたが週3でディサービスに通いながら、まあ不自由なく暮らしています。
安否確認の電話は毎日しているけれど、顔を見に行くのは月イチくらい。

母と話していると
「西田敏行さんて名優やってんてなぁ。私、あんまり知らんかってんけど」と言います。
母、ワイドショーはよく見てるんですが、西田敏行さんのこと、あまり知らなかったみたいです。
そうか~、西田敏行が売れっ子俳優になってテレビドラマによく出るようになったのは昭和50年代になってからで、その頃母は働きづめでテレビドラマなんて見てなかったのかな。仕事やめてからは大河ドラマを見たり最近はデイサービスのお友だちに勧められて韓ドラなんかも見てるようだけど…。

あれ?大河ドラマ…

「お母さん、西田敏行さん大河ドラマの『おんな太閤記』で秀吉やってはった人やで。私が高校生くらいのとき。いっしょに見てたやん」
「そうやったかなぁ。あんたよう覚えてるなぁ」
「『おんな太閤記』、おっちゃんがおった頃やわ。いっしょに見てたやん」

そうでした。
「おんな太閤記」で西田敏行が豊臣秀吉を演じていた年。
母はその頃つきあっていた彼氏とラブラブだった時期で「おっちゃん」は我が家に寝泊まりすることが多かった。

おっちゃんは母より一回り年上の定年間近の公務員でした。
公務員の定年が55歳だった頃です。
数年前に奥さんを亡くして母とは「ボツイチ」同士でした。

おっちゃんが当たり前のように我が家に泊まり込むようになった時は、私は思春期の女子でしたから、そりゃあもう傷ついたし荒れました。
何の説明もなかったですもん。
何の説明もなく家に上がり込んで晩ごはん食べてお酒を飲んで、父の仏壇がある和室に布団敷いて泊まっていくようになったんですもん。母もそこでいっしょに寝るし…。

それでもおっちゃんはイイ人だったし、母の前の彼氏がとにかく酷いヒモ男でソイツがストーカーみたいになってたのをおっちゃんが守ってくれたのもあって、私も弟もおっちゃんには懐くようになりました。

ストーカー男のことやおっちゃんのことがあって、私の思春期は大荒れでした。
後年、母が「ねむ子の反抗期は酷かったわ」と人に話しているのを聞いて、頭が沸騰しそうになりました。
何の理由もなく反抗するわけないやないの!

母とおっちゃんは結婚することはなく。私は母のことが大嫌いになったけどおっちゃんのことは好きで懐いていて、おっちゃんが母と別れて実家がある九州に引っ越した後も会いに行ったりしていたけれど、おっちゃんは体を悪くして介護してくれる人と再婚したので、私は会うことも出来なくなって亡くなったこともだいぶ経ってから知りました。

「おんな太閤記」は、そのおっちゃんと母といっしょに見ていたのでした。
おっちゃんはドラマ好きで「池中玄太80キロ」も見てました。
それは私は見てなかったけど。

母はその頃のことはあんまり覚えてないそうです。

私は覚えてる。

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