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話せなかった幼少期といじめの話
前回の自己紹介にスキをたくさんいただき、ありがとうございます!
次の記事、何を書こうか迷っていて時間が立ってしまいました😞
生い立ちや幼少期の人生の話をしていこうと思います。
少し重い内容かもしれません🙀
生まれたとき
20数年前にこの世に爆誕した私。
元気に生まれましたよ!という状態でもなかった。
私もあまり詳しく聞いていないけれど、へそと膀胱をつなぐ管が残されたまま生まれたらしい。そして生まれた直後それを取り除く手術をした。
この手術が数年後、体調不良の原因となってしまう。
幼いころは病気がちで体も弱く、しょっちゅう入院していた。
病院においてあったキリンのぬいぐるみがほしくて号泣した。
変な棒をマイク代わりにして歌をうたうのが好きだった。
一言も話せない幼稚園時代
幼稚園生活がスタートした。
いままで家族しかいない空間で過ごしていたが、初めてほかの人間と関わることになる。
ある日、クラスメイトに話しかけられ、返事をしようとしても声が出ないことに気づいた。返事をしたいと思っててもどうしても声を発することができないのだ。
家族とコミュニケーションをとっていたときに話せなくなることはなかったが幼稚園にいくと話せなくなるのだ。
いまとなって知ったが場面緘黙の症状だったのだ。
話しかけられても無視となってしまうので「なんでしゃべらないのー?つまんなーい」とどんどん嫌われてしまった。
一人でやることがないので毎日うさぎやねこのお面作りをしていた。
しかし先生に「あなたがずっと作るせいで材料なくなるからもう作るのやめて」と言われてしまい、やることがなくなってしまった。
本当はみんながやっていたおままごとがやりたかった。でも声が出せない、やりたいと言えない、友達もいない。みんながやり終わったあと、おままごとコーナーに行って一人で遊ぼうとしたが先生にもう終わりの時間だと怒られた。
幼稚園に行きたくなくて泣いていたある日、転校生がやってきた。
みんなと仲良くできそうな明るくて優しい子だった。
その子は転校してきた日から友達がたくさんできた。そして私にも話しかけてくれた。
次の日からなぜか私によく話しかけてきてくれる。一言もしゃべれず頷くことしかできないのに。
そして、いろんなことをして一緒に遊んでくれたのだ。
私と一緒にいて何が楽しいのだろうか、どうして一緒にいてくれるのだろうか。
私は絵を描くことが好きで、幼稚園でもずっと描いていた。
転校生ちゃんは私の絵が好きで、ほかのクラスメイトにも紹介してくれた。
そしたらみんなが褒めてくれ、絵を描いてほしいと言ってくれた。
最後まであまり話すことはできなかったけれど、転校生ちゃんのおかげで終盤は楽しい幼稚園ライフを送ることができた。
転校生ちゃんは家庭が転勤族で、幼稚園を卒業すると同時に遠くに引っ越してしまった。
あれから20年ほどたった今、一度も会ったことはないが毎年、年賀状のやりとりを続けている。
とてもいい人だった。どうか幸せに暮らしてほしい。
絶望の小学校時代
小学校に入学した。
小1のころは毎日図書館に通い詰めて本を読んでいた。本読んだランキングに入ることもあった。
ある日、授業中にトイレに行きたくなったが、先生に「トイレいきたい」と言うことができず、漏らしてしまった。
これがきっかけでクラスのヤンキーからいじめられてしまう。
クラス以外なら平和に過ごせると思いきや、掃除の時間、上級生に「目がきもちわるい」と言われる。
いまは大分マシになったが、斜視がひどく、ちょっと横を向いたりすると片目だけ白目になってしまうのだ。それが気味悪く思われ、白目になると雑巾を投げつけられた。どうにもならないことで文句言われることがつらかったし、この目で生まれたことを恨んだ。
小2は小学校生活の中で一番楽しかった。
絵を描いていると話しかけてくれる人が多いのでよく絵を描いていた。
文化祭でつくった粘土のりんごあめの記憶がなぜか鮮明にある。
小3、絶望が始まる。
きっかけはあまり覚えていないがブスと言われいじめられ始める。
友人も一人いたが、いじめ側にまわってしまい、クラス全員からいじめられることになる。そのうち学年全員にいじめられることになってしまい、学年115人vsワイのデスゲームが始まってしまう。
担任がいじめを斡旋しており、最悪だった。
一度担任が私の赤白帽子を隠している現場を見てしまった。
その日の授業で使うのだが、先生に帽子がないことを言うと「お前がなくしたんだろ!」と怒られて絶望した。
いじめられているのを親にもほかの先生にも言えず、バレないように過ごした。
あるとき、頭から墨汁をかけられて全部墨まみれのまま帰宅した日があった。親に見られてしまったが「なんかこぼした。」と言ってごまかした。
何回か絶対おかしいだろみたいな嘘をついていたら母親に何か障害があるのかもしれないと思われ検査したが何もなかった。
小4になっても同じ担任のままで相変わらずいじめは続いたが、学校に通い続けた。心身は限界に達していた。
ある日、机に書かれた「バカ、死ね、消えろ」の文字を見て、もう、無理だな。と思った。
しかしここで神の救いがくる。
この机の文字をたまたま見たほかの先生がいじめに気付き、家族にも話し、校長室登校することになる。
その後は保健室と校長室に登校し、教室に行くことはなかった。
授業外でわざわざ私に特別授業をしてくれた先生方には感謝している。
いじめから救ってくれた先生に「中学受験をしないか?」と提案された。
通学に2時間くらいかかりそうな遠い学校。私は朝が壊滅的に苦手で起きれないので最初は無理だなと断ったが、先生の熱意に押され、中学受験を決めた。受験は合格だった。
このまま地元の中学に入学していたら、ほぼ同じメンツで確実に耐え切れず、いま私はこの場にはいないだろう。
受験を後押ししてくれた先生、ありがとう。
中学生活はとても楽しかった、また今度noteに書こうと思う。
何回かつらい状況に陥ったが、最終的には救ってくれる人が現れ、楽しい日々を送れている人生。私と出会ってくれた人たち、ありがとう。