孤独な八方美人
私は昔から八方美人で、それ故家族以外の人と衝突したことがありませんでした。気まずくなるような喧嘩の経験も無いです。と、友達にいったら、驚かれた事があります。家族以外の人と言い合いになる事なんてあるの?と正直驚きました。
私は、人からどう見られているか?を無意識のうちに意識してしまいます。どこにいても、誰といてもです。どう見られているか?を認識したら、今度はそこの所属で、どう見てもらいたいか?を意識して、自分を作りあげてしまう。
それは匿名のネットでも大概では無いです。
自分を作り上げる時は、それこそ摩擦がなるべくないように、見せる人にとって都合のいい自分になるように、を徹底的に意識してしまう。
なるべく綺麗で良い子の優等生に見えるように。
馬鹿馬鹿しいですよね。
でもこれが無意識の私なんです。
たまに、年齢とか立場とか関係なく誰に対しても分け隔てなく同じキャラクターでいられる、明るくて素な感じが魅力的な性格の子って居るじゃないですか。特に歳上に対して、過剰に気を使わず、礼儀はあるけどフレンドリーに、上手い塩梅で接して人間関係を築ける子。昔はそういう子が凄く羨ましかったんですよね。いや、今でもそういう、所謂世渡り上手な子が羨ましいです。
どの年代の時もそういう友達は身近にいましたが、特に中学の時の、同じクラスで同じ部活だった子、なんなら名前も同じだった子に、凄く嫉妬心を抱いていた覚えがあります。まだ自分も幼かったので特に印象深く記憶に刻まれているのかな。その子のようになりたくて、学年上がる時に、このクラスではその子みたいなキャラクターで先生や友達に接してみようとか、そういう立ち回りを演じてみようとか、やってみたこともありました。
もちろん無理でしたが…
誰に対しても素で接するキャラクターが魅力的な子って、内側からキラッと明るくて、思ったことを素直に口にする印象で、だからこそ他人に気を使わせないし、相手の素も、同じレベル感で引き出すことができるんですよね。
確かに私も、上手く摩擦を作らないように、波風立てないように八方美人に接するから、友達は多い方だと思います。友達の定義って難しいけど、このnoteの性質上ここでは、同窓会で会ったら思い出話をできる人と定義します。
そう、多分友達は多い方です…。友達にも言われます、不死鳥は友達多くて羨ましいなあとか、自分は両手の指におさまるくらいしか友達がいないとか言われたこともあります。
それは、私が今までの間、誰に対しても、その人にとっての優しい人、求められる人、良い子像を徹底的に作りあげてきた結果なのだと思います。
社交的で友達が多くて明るい子。
自分で言うのも変な感じですが、今までの経験上平均的な私の印象はこんな感じだと思います。
でも、こんなこと言ったら驚かれるかもしれないけれど、どこにいても居場所がなくて孤独に感じるんです。人との摩擦で傷つく事、波風がたつことを恐れ、誰に対しても良い子の自分を演じてきてしまったから、誰にも本音を言えないんです。それがすごく苦しいなと思う。
八方美人と秘密主義って正の相関があると思うというか、秘密主義にしていないと八方美人を演じることって出来ないから、必然的に秘密主義になってしまうと思うんです。
それは、何を言うか、言わないか、相手に受け取ってもらう自分の情報を取捨選択することによって、相手にとって綺麗で良い子の私を演じてるから。
もうなんか兎に角私は疲れた。
相手の顔色伺って綺麗な私で、相手にとっての良い子で居続けるってしんどい。
友達は多いはずなのに、本当に辛くて話を聞いて貰いたい時に誰に言えばいいか分からないのだ。その子にとっての「良い子の私像」が壊れるから、誰にも言えない…
もう意味がわからない…
なんのための友達…
言えることならなーんにも考えずに、思ったことを本音で嘘偽りなくズバズバと言いたい。
言葉を美しく加工して届けるのではなく、どう思われても、荒削りの言葉でも、本当に言いたいことを言いたい。
許されるのなら、知らぬ間に相手を傷つけてしまう事なんて想像もせず、なーんにも考えずに思ったことをそのまま吐きたい。
傷つけたってどうでもいい、勝手に悲しんでればいい、私のせいなんかじゃない、勝手に傷ついたのはそっちでしょ、あんたが全て悪いって、傷ついた人に全責任を押し付けてみたい。
他人の気持ちをできる限り想像出来て、傷つけないように、優しい人で居られる私が誇りだった。
でも本音が誰にも言えない辛さとか、この空虚感を抱くくらいなら、もはや人を傷つける事さえ厭わずに思ったことを言える人が羨ましいかもしれない。その精神力や勇気が私には無い。傷つけることも傷つくことも怖い。もちろん中には傷つけた事に気づかない人も居ると思う、でもその人は少なくとも、なんでも言える人は1人くらいはいるんじゃないかな。
私は、包み隠さずにどんな事でも言える人は正直、この世に1人も居ない。
全ては自分が傷つくのが怖いから、臆病だからなんだよね。だから人との関係に一歩踏み出せなくて、誰に対しても一線を引いてる。 自分が傷つかないために、大きな嘘をついたままの親友もいる。傷つかない為なら、ずーっと何年も嘘をついておける。この嘘に限らず大なり小なり、普段から自分は息を吐くように嘘をついてしまっている。もちろんそれは、傷つきたくないから、自分が嫌な目で見られたら怖いからというのもあるけど、嘘をついて体裁を整えて、本当の自分を悟られない事で安心し、自己防衛してるのです。
社交的で明るくて友達が多いと思われている私と、傷つくのが怖くて誰にも本音が言えない根暗な私の、表と裏のギャップが兎に角苦しいんです。
表も裏も全部含めて自分だし、自分の事はよく理解してるつもりで、自分が無いということはないんです。でもその自分を、何も気にせずにさらけ出せる人はいないなと思う。
これが結論。今は改善策とかない。まあ別に改善する必要なんて無いのかもしれないけど。
くるしくても、これがありのままの自分の姿だからね。
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