「LとR」の発音を身に着けたときの話。
LとR。多くの日本人が、10年近く英語を学びながら習得できない、2つの音。
「私はできます。」とマウントをとりたいのではない。日本語に無い音を、訓練無しに習得することが土台無理。入試英語で問われる音は、アクセントと、せいぜい母音の区別くらいのものであり、見れば分かる「LとRの違い」に時間を割く親切設計ではない。
2019年初の僕もそうだった。
Cambridge留学を間近に控え、学習ターゲットは明確に発音だった。発音の本を見ては練習し、Youtubeで動画を見てはコツを掴もうとする。だが、どうにも腑に落ちない。「舌を巻けばいい」とか「小さい『ン』を前に付けて発音すればいい」とか。よくわからないので、適当に折り合いをつけて、「Rock」とか「Lock」とかブツブツ言いながら、暖冬の東京を歩く。
結論から言って、僕のL/Rは全く聞き分けられない代物だった。日本での努力は、誤った努力だった。少なくとも発音に関しては。投じた時間より、大都会をブツブツ言いながら得意げに闊歩しながら何も得ていなかった事実が、何ともいたたまれない。
留学前に、会社は「外人講師による全編英語の手厚い研修」を用意してくれた。でもダメなのだ。日本で英語を教えている先生だから、日本人の発音のクセが分かる。つまり、カタカナ英語でもコミュニケーションが成り立つ。(「自信をつける」という目的なら、それは十分達された。)
異国の地に降り立ち、「コミュニケーションのスタート地点」にさえ立てていない事実に、初めて向き合う時が来た。
現地で「1 on 1の個人レッスン」が確保されていたことに、今でも感謝している。毎日きっかり1時間。何を学ぶかを自分で決められた。(残りの時間は、討論、エッセイ、文法、リーディングと、1日で一通りこなしていく時間割。)
「3ヶ月という限られた時間」で成果を享受するには、1に発音、2に会話。この2つのコツは、所望されたスコッチウィスキーと一緒に、何としても持ち帰らねばならない。
ビデオカンファレンスのやり方だとかビジネス作法なんて選択肢もあったが、僕は全くそのレベルに達していなかった。当時の僕の会話力は、2~3歳児。まずは幼稚園に入園せねばならない。
「色々あるけど、まずは母音と子音。特に、LとRの区別できないんだ。」
そう告白した。全部同じに聞こえると。スージーは、笑ってそれに応じた。それは、話せないからだよと。話せないことは、聞けないのよと。話せることは聞けるのだと。コツを教えるわ。
ホワイトボードに、「口と舌」の図を書きながら続ける。
R:唇を思いっきり突き出す。舌は軽く後ろに引く。
L:唇を思いっきり引く。舌は前に出して、歯の裏辺り。(Rの逆ね。)
なるほど。舌の動きを解説した動画はたくさんあったければ、唇の動きも重要なのか。早速、試してみると、ぎこちない動きの中から、少しだけそれらしい音が出た気がする。
そうそう、そんな感じ。大分いいわ。滑らかに発音できるまで、家で毎日練習するのよ。練習しないとできるようにならないわ。明日は違うことをやりましょう。
「Rock…Lock…Right…Light…Play…Pray…」
少し肌寒い夕暮れのCambridge。力なく自転車を漕ぎながら、RとLの発音を小さく繰り返す。時差ボケなのか風邪なのか、頭がぼーっとする。気分は最悪だが、人目を憚る余裕が無いことは、ポジティブに捉えることもできる。
帰宅後、ホストマザーが淹れてくれた、「蜂蜜入りレモンティー」が身体を温める。彼女はいつも気を遣ってくれた。夕飯は、体によさそうな、野菜を少し多めに用いたメニューだった。
翌週。授業の途中で、スージーがにこにこ笑いながら紙を見せてくる。
どうやら、テストをするようだ。RとL の部分だけが対になる単語がピックアップされている。どちらか見せずに発音して、スージーがどちらに聞こえたか判定するシステム。
「Pray…Rock…Light…」
大きくはっきり、発音してゆく。
Perfect. Le~t’s go downstairs. ティータイムのお許しが出た。幸い、スージーには聞き取れたようだ。ふうっと胸をなでおろす。階下に向かい、1段飛ばしで階段を下りる。
賑やかな談笑の輪が、少し早い春の訪れを告げているようだ。大きめのビスケットと紅茶を楽しみながら、先週よりスムーズに会話に応じる。
Let’s!! 長い時差ボケの鬱憤と、新しい武器とを携えて、初めて異国の友人と伝統的なパブに繰り出した。エールビールとドライジンで見事に脱力した僕の口は、入国後、一番の滑らかさを帯びていた。
当時、復習用に回していた動画を、今でもたまに見返すことがある。そこには、お米と虱の発音を大真面目に練習する、あどけない日本人の姿が映っている。
会社の誰も知らない一面と、拙い英語とがおかしくて、未だに消せずに見返してしまう。スージーも、こんな気持ちで英語を教えていたんだろう。そう考えるとおかしくて、「Thoroughly」なんて、ぼそっとひとりごとを言っている。