後輩Aの話。
それはそれは、トンでもない奴だった。
保守的な業界の中にあって、彼以上に「センセーショナル」という言葉を身に纏うに相応しい人材はこの先出現しないに違いない。そんな確信の種を、周囲の有りとあらゆる種類の人達にせっせと植え付けるそんな人だった。
「だった」というのだから、彼はとうに退職済だ。とある大学院の日本人初の大学院生として、スペイン語で様々なことを学んでいる。何故そんな近況を知っているかと言えば、何年経っても必ず誕生日には近況を添えたメッセージを送付して来るからだ。そればかりか、どこから入手したのか検討もつかない社内の出来事、人間関係のあれやこれやを「これ見よ」がしに送りつけてくる。果たして彼は本当に海を渡ったのか。今でも時々と疑問に思う。
そんなことからも、「出る杭は打たれる」なんて老若男女日本人がスベカラク諳じられる諺でもって、彼がガンガンガンガンと打ち付けられたことを想像するのは難しくないだろう。何せプライベートな付き合いには一切顔を出さない。飲み会はもちろん、ゴルフなんてもっての他だ。そんな時には、せめて「今日は体調が…」「友人との予定が…」等と気の利いた文句の1つでも言えば良いではないか。それを、「夕飯のお肉を解凍してますので。」「明日のバナナを買いに行かないといけないので。」等と言ってしまうのは、火に油、いやガソリンだ。消防設備士が聞いて呆れる。
何人ものオトナ達が彼を屈服させんと試みたこともまぁ想像に堅くない。飲み会に、ゴルフに、カラオケで歌わせようと、あの手この手の百八手。「そんな態度は、君のためにならない。」「そんな甘えが通用すると思うな。」そんな文句を並べ立てて、マシンガンのようにバンバンバンバンと言葉を浴びせた。浴びせるは良いが、蜂の巣になりそうな言葉の数々も、暖簾に腕押し、糠に釘、豆腐にかすがい何のその、効果は皆さんお察しの通り。彼はいつでも頑なだ。
彼には目標があった。彼は、彼のために時間を使うことを史上命題としていた。そんなアタリマエの価値観を彼はいつ何時どこにいても表明し続けた。権利とは不断の努力の上に実る。まるで戦後の日本に生きるように、我が国最高法規の12条を、それはそれは忠実に実行し続けた。
そうして、時が流れて早数ヵ月。いつしか周りの見方も変わってきた。「あいつは誘っても来ない。」「あいつはお酒を全然飲めない。」皆その事に内心面白くない思いだったようだが、彼のことをオモシロイ奴だと思うようになった。
もちろんそれは努力の賜物。彼は特別頭が良いわけでも、何かの才能に恵まれていたわけでもない。代わりに彼は誰とでも平等に接し、町中の人と仲良くなった。ムズカシイ資格も取得した。同僚が病に付したとき「見舞いの品、玄関に掛けときましたわ。お大事に。」なんて見舞いに来たりした。
そうして時は流れて、幾数年。漸く彼は決断した。何をも恐れぬように見えた鋼の心は演技も演技。まだまだニ十代の若者だ。目の前の温室を抜け出す葛藤がどれ程だったか後でゆっくり語ってくれた。
出国前夜、彼から受ける突然の連絡に驚くのも無理はない。初めての誘いはなんと居酒屋。ビールを頼むのは今宵も私だけ。そう考えるのも無理はない。
でも、その夜は違った。彼はビールを頼み、僕達はビールで乾杯した。「僕がビール飲めないと思いました?飲めないわけ無いじゃないですか、演技ですよ。演技。」彼はしたり顔でこれからのことを僕に語る。彼は自分に克ち、周りに勝ち、勝利の美酒に酔うたのだ。そこであぁ、思い出したよ。君とは一度新大阪までの道中、偶然乗り合わせて缶ビールで乾杯したことがあったな。負けたよ負けた、僕の敗けだ。
その行動は示唆に富む。僕は自分の時間を大切にするようになった。もっと言えば、僕は自分のために時間を使おうと思った。24時間365日、与えられる時間は等しく同じだ。長い目で見ればこの世に生を受けて以降、生きてさえいれば、あらゆる挑戦を試みる機会は万人に訪れる。いつ何時も「仕方ない」なんて瞬間に直面するか否かは、自分がそれを選択するか否かにかかっている。自己の出力を決定付ける変数aは、常に一人称が設定するのだ。上司や知人、家族ではない。私だ。
定時後の時間を使わずにコミュニケーションを活性化する方法は至ってシンプル。コミュニケーション1単位中の効用を皆が増やせば良いだけだよな。やるよ、やるさ。君が日本でそうしたように。君がこの日本に居なくても、僕が僕なりの方法で。
高校の入学式。当時の生徒会長はかく語りき。「好奇心とほんのちょっぴりの少反骨心を持てば、君達の高校生活は充実したものになるでしょう。」なぜかそんな言葉を思い出したよ。自由な時間とお金を手にして、"ちょっぴり"なんて遠慮は不要。早速と小さな成果も出たさ。まぁ、見ていてくれよ。
10年後にまた会おう。君の鳴らした16000ヘルツのファンファーレは今でもそこら中で静かにキンキン鳴り響いている。やるよ。少なくともこの音が聞こえ続けているうちは。地球の裏側で何かを探し求める君に届くように地鳴りのようなファンファーレを鳴らすよ。君の答えがその中にあったと互いが笑えるように、やるよ。
目敏い君のことだから、いつかこのnoteを見つけるかもしれない。でもなそれは野暮ってものだ。だから添えるよ、最後に一文。「この物語はフィクションです。」とね。期待に添えず残念無念。人生は思い通りにいかないから愉しいのさ。
それでは、また10年後。
Muchas gracias. Salud por la vida.
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