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閑話休題。


ダッシュボードを開く。「49,993」という数字は、いかにもキリが悪い。そうして、何の変哲も無い数字の1つに意味を見出してしまう時、「人間だな」と再認する。


noteを本格的に書き始めたのは、昨年の6月頃。飽き性の私がよく46本も書いたなと驚くばかりだ。内省に終始するその内容が平均1,000回読まれたことに、不思議な気持ちを覚えながら、これからもマイペースに更新したい。

今日は、過去のnoteの振り返りをしたい。特に多くご覧頂いたものを中心に、noteに込めた想いや悪戯心を、改めてご紹介できれば、という所だ。


1. 「利己」に実る、「利他」の果実。

あらゆる行動は100%「利己」に基づく。これが、メッセージだ。その行動は、結果として事後的に、行為の受け手によって「利他」となったケース、残念ながら「利己」となってしまうケース、その両方になるケース、のいずれかに分類される。

私は「利他」という言葉を正面掲げる行為が嫌いだ。(中略)恩の押し売りこそ、「利他」という言葉を正面掲げる行為の本質に他ならない。

ポイントは、行為の主体に「分類の主権」が無い点だ。「相手のために」なったかどうかは、100%受け手が決めるべき課題だ。行為の主体が決めていいはずがない。相手のためになっていないのに、相手のためだと盲信することは、現代社会における悲劇だ。

自分のために土を耕す。自分のために種を撒き、水をやり、草をむしる。そうして創り上げた「自分のための果実」。それが、誰かを笑顔にすれば、もちろん最高にハッピーなことだ。たとえ、誰かを笑顔にできはしなくとも、それはそれで良いではないか。私自身の糧となり、私自身が満足できれば、不幸になるものは誰もいない。

せっせと獲物を狙ったり、戦争したりする必要がなくなり、私たちのエネルギーは、かつてない程コミュニケーションに注がれている。「やってあげたのに…」等と心の中でモヤモヤしそうになる時、文章を読み返して、行為の利己性を再確認したい。精神的肥満の予防のためである。


2.育児は「クリエイティブ」だ、という話。

「育児」は大変なものだ。しかし、驚くべきことに大半の人(主に男性)は、何が大変なのか分からないのだ。そうして、毎日どこかで悲劇が起こる。これは、専業主婦の方に向けた、「夫に育児の大変さを説くためのnote」である。

育児が「クリエイティブ」であることに疑問を抱く方は決して少なくないはずだ。オムツを替え、ミルクを与え、お風呂に入れ、ベッドに寝かしつける。予防接種を受けに小児科へ行き、育児支援講座を受けるべくセンターに向かい、近所の友人達とランチをとりつつ、愚痴やちょっとした自慢に花を咲かせ、帰途につく。これらの行為を一瞥したところで、「クリエイティブ」な要素は見当たらない。

何も男性に限った話ではない。育児の1つ1つの行為を単品で評価しても、やって見なければ簡単に見えてしまう。子を持つ前の女性でさえ、そうだろう。

育児はどうだろう。育児にも計画はある。しかし、育児には「計画通り」という概念はほぼ無い。「9:00にミルク」「13:00に小児科」といった、簡単な計画でさえ、想定通りにはいかないものだ。

ビジネスと育児の決定的な違いは3点だ。まず、「計画通り」ということが無い。そして、関係者(ここでは子供)相手に交渉することができない。ビジネスとて、計画通りに進まないことも多い。しかし、いい大人同士が行うのだから、互いの状況を組んでプランを練り直せる。子供には、それが通じない。

しかし、最も決定的な違いは、「報酬」にある。専業主婦には、見返りが無い。

しかし、その対価は「お金」や「承認」ではない。我が子の「笑顔」…いや、その笑顔も約束されたものではない。クリエイティブの"真骨頂"は日々の間隙に消え、できて当たり前に見える「結果」が、残渣として残る。

ビジネスは、結果を出せば評価を得られる。あるいは、同じ目標、志を持つ仲間と1つのビジネスを通して、充実感を共有できる。「何億円の新規売上」等と数字が、困難さを客観化してくれる。育児には、そのような都合の良いものがない。「子供を寝かしつけた」ことのある人だけが、その大変さを共有する。経験の無い人には、「昼間っから寝られて良いな。」と思われてしまうのだ。

「大変さ」の質の違いが家庭内で共有され、「育児のクリエイティビティ性」が普及することを願ってやまない。(あわせてどうぞ→なぜ夫は「考える家事」をしないのか。


3.文章を書く時に心がけていること①

noteを読んでいて、「勿体ないな。」と思うことがある。私のnoteも未だ見ぬ貴方にそのように思われていることだろう。これは、完全に私の趣味の話である。

私は、文章を2つのタイプに分けて捉えている。すなわち、
・知識を伝える文章
・切り口を伝える文章
の2つだ。

世の中、「文章の書き方に関する文章」が多い。しかし、シンプルに書けば上記のように切り分けられると思う。私は、後者のタイプの書き手だ。

後者の肝は「どれだけ感覚的に描けるか」であり、もっと言えば「こちらの意図を隠したまま、相手に情景を想像させられるか」ということであり、それは詰まるところ「比喩」等の例えを駆使する、ということに他ならない。(中略)特異過ぎる比喩によって「おいてけぼり」を決めてしまっては無価値だが、さりとて意図を全て読みきられても無価値なのである。

私の文章に比喩が多いのは、このような考えによる。1つ1つの比喩に込められた意図を想像して読んでいただたけることが、書き手冥利に尽きるというところだ。言葉遊びと言われればそれまでだが。

結局①に飽き足らず、⑤まで書いてしまったので、お時間のある方は、続きもご覧いただけるとありがたい。

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以前の文章を読むと、幼稚な表現に気恥ずかしくなる。一方、そこから学ぶことも多い。今後も、自分のためにnoteを書いていきたい。

長くなりましたが、お付き合いありがとうございました。今後とも、よろしくお願いいたします。



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