「明日、選挙でもやりますか?」
新型コロナウイルスに関する情報がネット上に溢れている。ウイルスの増殖に比例して、1月頃は楽観的な、2月頃は同情的な、3月に入り扇動的なものが目に見えて増えた。
いい迷惑だ。
デマや嘘や憶測を拡散する「デマクラスター」は、意図的かつ瞬時に拡散し、人の思考を奪う点でコロナウイルスのクラスターよりはるかに質が悪い。
マスクには効果がない、つけなくても大丈夫、日本人はBCG接種してるからどうの、外人は感染しやすいから出ていけ、暖かくなれば大丈夫だ、東京五輪のためにPCR検査人数を低く見せていた、お肉券は的はずれな政策だ、強制的に夜の店を閉めろ、来週にはロックダウンするとかどうとか、云々。
本当にタチが悪いと思う。
我々のような、その道の素人に思いつく、ただネットの情報の表面をなぞっただけの疫学的・経済学的諸愚策など、最前線の医者、政治家、経済学者が、過去の事例、他国の事例を検証して何周も議論している。それでも簡単に答えが出ないから、どうしたものかと頭を悩ませている。
時間は無い、金は無い、設備もインフラも急には整えられない。事例は限られ、未知のウイルスの感染経路や感染力の前提は毎日変わり続ける。
新型コロナウイルスは、凡そ8割の確率で軽症となることが分かっており、故に一律に「こうだ」と決め打ちすることが難しい。それは、更にその前段の「権力が強制措置を講じる権限を持つべきか否か」の議論まで立ち戻り、仮にその権限を有したからといって、今やるか、明日やるか、来週まで様子を見るべきか、未知の荒療治が実態経済に与える副作用との微妙なバランスを読み解かなくてはならない。
未知の難局に、唯一無二の答えなど無いのだ。今あるリソースで、目の前の課題に取り組まなくてはならない。それなのに、我々がそれを邪魔して騒ぎ立てて、一体何がしたいのだろう。事に当たる関係者の悩みの種を撒き、1つ2つ、せっせと咲かせているだけではないか。花を見る機会すら自粛を呼び掛けられているのに。
指揮者が言葉を選び、平静を装うのは、我々にそれ(悪い意味で刺激的な現実)を受け止める力が無いと諦められているからではないのか。ここは民主主義国家の日本だ。中国ではない。イギリスやアメリカ、イタリア、スペインのような、半医療崩壊下で問答無用の強制措置が必須と言い切れるわけでも無い。言葉を選ぶのは当然だ。屁理屈をこねて、昼は旅行やパチンコ、夜は居酒屋、ナイトクラブ、カラオケで馬鹿みたいに未知のウイルスを撒き散らす日本国民を、苦虫を噛み潰しながら、事実とできうることを1つずつ伝える。手落ちはあっても、急拵えなのだから仕方がない。真摯な態度ではないか。文句があるならやってみろ。
1つ。未だ見ぬ貴方に質問がある。
「明日、あの、イケ好かない政治家達を総取っ替えすべく選挙を行い、選び直しますか?」
答がNOなら。初動がどうだ、DP号の対応がどうだ、安部が、自民党が、都知事が、そんなことは一度引っ込め、今この瞬間、ウイルスの感染拡大を抑えるにはどうしたら良いか、そのことだけに集中する。それが我々国民ができること、為すべきことではないのか。
それは有りもしない幻想に身を投げ出すことでも、悪戯に不安を掻き立てることでも、マスクや消毒液のありか、手元の㊙️情報をSNSに垂れ流して悦に入る、皆を惑わすことでもなく、消費税が社会保障のために使われていないと嘆くことでもない。そうではないでしょう。
答えが、もしNOなら。批判の主語を「安倍」とか「自民党」とか、陣頭指揮を執る首相や政府にせず、個別具体的な政策に向けよう。
もしNOなら。欲を言えば、政策の批判を目的にせず、どうすればより良いものにできるのか、より保護を必要としている主体は誰か、何が政策に追加されるべきで、それはなぜなのか、そもそも自分の意見の元データや資料、記事はどこにあるのかを明示して、「提案」しよう。
万一、それが知識やリテラシーの観点からできなくても。我々一人一人には、今確かにできること、やるべきことがある。コロナウイルスの感染拡大を大幅に抑制できるとっておきの手札がある。
マスクをつけ(無ければ1個知人に譲って貰って消毒して使い回して)、外出を控え、外出する場合はとにかく3密(密着、密集、密閉)を避け、何かに触れたら手を洗い、嗽(1回目の前に口を濯ぐ)をし、顔や粘膜に触らず、淡々と過ごす。
家の中では換気をし、思い付く限りの方法でリラックスして過ごす。
科学に裏打ちされた、この究極の対処法を、新型コロナウイルスの影響が落ち着くまで、数日、数週間、数ヶ月。ただひたすら繰り返す。ひたすら、それだけに注力する。
「選挙しますか?」
答がNOなら。後のことは、どこか気にくわない、しかし我々が確かに選んだ政治家達と、日本の頭脳と、確かな技術とに、その命運を託すのみである
私は、そう思う。
逃げるべき海外は、今この瞬間消え失せた。日本の拙い歩を止めようとシニカルな批判に粉骨砕身することに、百害あって一理無し、だ。