妻を噛む
心がぐちゃぐちゃしてくると塩むすびを食べる。
甘味と、塩味と、質量を感じる。
具もなく海苔もなく。
おかずも付け合わせもなく。
スマホもテレビもなく。
食べ物を適当にちぎって口に入れたり、
いまなんの味?と言われてはっきり言えないようなときは、
だいたい良くないと思うからだ。
ただ目をつぶって、じっと噛む。
ソウルフード、とはよく言ったもので、
僕も日本に生まれ育ったものとして
おにぎりには並々ならぬ思い入れがある。
もしもパン食い競争の要領でおにぎりが吊るされていたら、
「その処刑待ってください!」
と駆けだしてしまうかもしれない。
そんな身勝手が起こるほど、好きだ。
戦があった時代、それは元気玉だった。
約8割が炭水化物で
とても完全栄養食とは言えないが
あたたかなごちそうとして、
何よりも血肉をつくる!
と、すっかり信じられていて。
結果、近代には巨大艦隊をも討ち倒す。
とてつもないプラシーボ効果である。
たたかいは、よくないけれど。
人が人に、願いを込めて握りしめる。
それは偉大なる愛のかたまりだったのだ。
「卵が先かニワトリが先か」みたいに、
おかずが先か、米が先かを考える。
おかずを優しく受け止めるために米があるのか。
米が美味しく輝けるために、おかずが協力しているのか。
一般的に、米だけを食べる頻度と
おかずだけを食べる頻度を比較したら
圧倒的に前者が多かったはずだ。
だって、おにぎりがあるから。
もちろん、
昆布や鮭のカケラを”おかず”に含まない場合の話だけど。
そう考えると米が主役かな、とも思う。
でも、もうひとつのソウルフードである寿司の場合、
米は完全にアシスタントだ。
いわばマンツーマン講師。
サッカーの入場でいえば、完全に子供の方だろう。
最近では低糖質ダイエットも浸透してきたし、どっちが主役かは藪の中。
公務員と、民間人。
雨と、晴れ。
楽器と、歌。
色んなたとえが、うまくいかない。
じゃあ、と夫婦をあてはめてみる。
うちの場合は完全に僕がおかずで、妻が米だ。
僕みたいに血中塩分濃度が高い痛風予備軍は、
どうしても相手を選んでしまう。
「塩辛だけど誰かコラボする?」と聞いたところで、
手を挙げる人は限られて当然だ。
自分からクセがすごい味つけにしておいて、
3つも4つも会社を辞めて。
合う味がないのが悪い!とうそぶく――
われながら、うすらコンコンチキとおもう。
その点、妻はまるく、やわらかく、あたたかい。
当たり前のようにそこにあって、
当たり前のようにひとつの仕事をやり、
当たり前のようにみんなから必要とされている。
こないだなんて寒い小雨の中、
友人に人気のかき氷屋へ連れていかれたらしい。
優しすぎる性格も考えものだ。
君と和 えたこと。
心を炒めること。
愛を揚げること。
2人、煮 ていくこと。
頭に詰まった具を全部ほっぽらかして、
珍妙なお料理即興詩をそらんじてみる。
こんなアホみたいなのがお供で良いんだろうか。
もっと食べやすい男がいいんじゃないかな?なんて考える。
でも、妻はしょっぱい方が好きという。
まあいいかと僕はつぶやく。
寒空の下で、妻を噛む。